HISTORICAL PERSON · 1989年没

ジョルジュ・シムノン

ベルギー出身でフランス語で書いた小説家。103編に及ぶジュール・メグレ警視の推理小説で知られ、世界中で広く読まれた。

生涯
1989年没
死亡地
スイス連邦(ヴォー州 / ローザンヌ)
出生地
ベルギー王国(リエージュ)
出典
世界地図
スイス連邦(ヴォー州)

伝記

ジョルジュ・シムノンは、1903年2月13日に生まれ、1989年9月4日に没したベルギー出身の、フランス語で書く小説家、推理作家である。103編にのぼる、ジュール・メグレ警視が登場する一連の推理小説で知られる。世界中で最も読まれたフランスの作家は、ヴィクトル・ユゴー、ジュール・ヴェルヌに次いでシムノンだという説もあるほど、世界各国で好評を博した。

ベルギーのリエージュで生まれた。父デジレは保険会社の会計部門で働き、母はアンリエット・ブリュールである。迷信を気にして、2月13日の誕生を12日生まれとして登録した。母方の先祖には、1720年代から絞首刑となる1743年まで地域を悩ませた犯罪者ガブリエル・ブリュールがおり、のちにシムノンは、この名を自分のペンネームの一つとして用いた。1906年に弟のクリスチャンが生まれると、母はこの弟を一番可愛がり、シムノンは屈辱を味わった。1911年に引っ越した大きな家には、下宿人を置いた。見習い工や、さまざまな国から来た学生たちが、若い彼に広い世界への入口を開き、この経験は、のちの『血統書』や『下宿人』に現れている。1914年にイエズス会の中等学校に入学したが、父の心臓の具合を言い訳にして、1918年6月に学生生活を終えた。その後は、さまざまな職を転々とした。

1919年1月、15歳でリエージュの新聞社に就職した。担当は取るに足らない三面記事だったが、そのおかげで、街のいかがわしい面を探ることができた。犯罪や警察の調査、警察の技術についての犯罪学者の講義も、関心の対象になった。素早く編集する技術も学び、ペンネームで150本以上の記事を書いた。処女作の『アルシュ橋で』は1919年6月に書かれ、1921年に「ジョルジュ・シム」のペンネームで出版された。この時期には、夜遊びが増え、無政府主義者や自由奔放な芸術家たち、のちに殺人を犯す二人の友人とも交わった。芸術家集団とも交流があり、その縁で、将来の妻レジーヌ・ランションと出会った。

1922年に父が亡くなると、レジーヌ(愛称ティギー)とともにパリに移った。居酒屋、安宿、バー、レストランに精通し、労働者階級のパリ市民たちと知り合った。さまざまなペンネームで作品を書くうちに、創造性が実を結び始めた。1923年3月に、結婚のため短期間リエージュに戻った。1928年には取材のため長期の船旅に出て、船の面白さを覚え、1929年には自分の船を建造した。夫妻と、料理人で家政婦のアンリエット・リベルジュ(愛称ブール)、飼い犬が船の住民となり、フランスの運河を旅した。1930年に、初めて本名で、メグレ警視の物語『怪盗レトン』が週刊読み物誌に登場した。書籍の刊行は1931年である。メグレが初めて登場する作品は、ジョルジュ・シム名義の『夜の列車』とされ、オランダのデルフゼイル近辺を航海中に書かれたと考えられている。ここにはメグレの像が建てられた。

1932年から1935年まで世界中を旅して、アフリカ、東ヨーロッパ、トルコ、ソ連などから記事を送った。メグレもの以外の純文学にも力を入れ、『雪は汚れていた』はアンドレ・ジッドとモーリアックから絶賛された。ジッドは『家の中の見知らぬ者たち』も称賛し、『片道切符』については、同じ年に出たカミュの『異邦人』よりも優れていると述べ、「現代フランスの最も偉大な作家」とまで評した。江戸川乱歩も『倫敦から来た男』を比類なき名作と評価している。第二次世界大戦中はヴァンデ県に住んだ。戦争中の行動は議論を呼び、ドイツの協力者だと現地の農場主から告発された。

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