伝記
パカティアヌスは、ローマ帝国のドナウ川流域で皇帝を僭称した人物である。正式な名はティベリウス・クラウディウス・マリヌス・パカティアヌスで、英語ではパカティアンと呼ばれる。没年は248年ごろとされ、アラブ人フィリップス帝の治世の末期に現れた、皇帝位を名乗った複数の軍人のひとりである。個人名と氏族名からは、先祖がティベリウス帝かクラウディウス帝の時代にローマ市民権を得たと推測される。
その生涯は、ゾシモスとゾナラスの歴史書の言及によって知られる。ただし記述の年代関係ははっきりせず、現代の研究者は貨幣をもとに彼の生涯と反乱の時期を割り出している。ゾナラスは彼をドナウ川沿いの軍団のひとつの「部隊指揮官」と呼び、第7クラウディア軍団であった可能性が指摘される。皇帝になる以前の経歴は乏しいが、元老院議員の身分にあったとする見方や、シリア属州の総督を務め、フィリップスの下でパンノニアとモエシアの両属州に特別の指揮権を与えられていたとする説もある。
反乱は248年の半ばに起こったとされる。同年、ゴート人の侵入をローマ領から追い払う動きがあり、彼はその指導者のひとりだったと見られる。この行動の最中か直後に、ドナウ軍団から皇帝として歓呼された。支配は次第にウィミナキウムの都市にまで及んだとされる。ゾシモスによれば、モエシアでのパカティアヌスの反乱と、ほぼ同時期のシリアでのヨタピアヌスの反乱の知らせを受けて、フィリップスは元老院に退位を申し出た。このとき元老院議員デキウスが、パカティアヌスはまもなく部下に殺されるだろうと予言して帝を諭した。
パカティアヌスはウィミナキウムに造幣所を設けたとされ、当時の通例とは異なり、兵士への支払いのための銀貨だけを造ったともいう。貨幣の銘文には、敬虔、幸福、不敗を意味する称号が刻まれていた。最も有名な貨幣には「永遠のローマの1001年に」という意味の銘が刻まれ、ローマ建国から千年の節目を祝うフィリップスに対し、次の千年紀の始まりを自らが担うと示したものと解釈される。
予言は間もなく現実となり、248年の終わりか249年の初めに、パカティアヌスは部下の兵士に殺された。フィリップスは反乱の原因を調べるため、デキウスをドナウ川に送ったが、デキウスはただちにドナウ軍団から皇帝として歓呼された。ゾナラスは、デキウスが辞退を申し出たと記している。デキウスは最終的に、249年のうちにフィリップスを破った。
同じ年に亡くなった人物
- 趙氏貞 (248年没)
- Heraclas of Alexandria (248年没)
- 東川王 (248年没)
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