伝記
トランクィッリーナ(フリア・サビニア・トランクィッリーナ)は、3世紀前半のローマ帝国の皇后で、皇帝ゴルディアヌス3世の妻である。225年ごろに生まれ、244年以後に没したとされる。近衛長官ティメシテウスの娘で、母は名が伝わっていない。スペイン語の記述では、父の末の娘とされている。美しさと穏やかな性格、清らかな品行で知られたと伝えられる。
241年、父ティメシテウスが、わずか16歳だった皇帝ゴルディアヌス3世によって近衛長官に任じられた。ゴルディアヌスは13歳で皇帝となっており、近衛隊の力に支えられていた。ティメシテウスは皇帝に対して大きな影響力を持ち、実質的に帝国を治めていたといわれる。同じ241年の5月に、トランクィッリーナはゴルディアヌスと結婚し、ローマ皇后となってアウグスタの称号を受けた。結婚の時期は241年の春とみられるが、婚約はすでに240年の夏にあった可能性も指摘されている。この結婚は、若い皇帝がティメシテウスを政治的に欠かせない存在と認め、トランクィッリーナを皇后にふさわしいと見たことを示すものとされる。皇后としては評判がよく、ローマの既婚婦人たちが彼女の彫像を建て、属州の各地にも彼女にささげられた記念物が造られたという。
ゴルディアヌスとティメシテウスがペルシアのシャープール1世への遠征に出たとき、トランクィッリーナもこれに同行した。243年に父は死去したが、病によるともいわれ、死因は不明で、疑わしい点もあったとされる。後任の近衛長官にはピリップス・アラブスが就き、若いゴルディアヌスを倒す機会をうかがったという。ゴルディアヌスは244年、19歳で死去した。その事情ははっきりしておらず、同年2月に殺害されたとする記述もあり、ピリップスが新たな皇帝となった。
トランクィッリーナは父と夫の両方に先立たれたのち、生き延びたと考えられているが、その後どうなったかは分かっていない。私的な生活に戻ったとする記述もある。二人の間に子はなかったとされるが、研究者のクリスティアン・セッティパニは、244年ごろ、おそらく夫の死後に生まれた娘フリアがいて、マルクス・マエキウス・オルフィトゥスと結婚したのではないかと推測している。
同じ年に亡くなった人物
- ゴルディアヌス3世 (244年没)
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