HISTORICAL PERSON · 1988年没

ニコ・ティンバーゲン

オランダの動物行動学者・鳥類学者。動物の行動を進化的な側面からも研究する重要性を唱え、1973年にローレンツらとノーベル医学生理学賞を受賞した。

生涯
1988年没
死亡地
イギリス連邦(オックスフォードシャー / オックスフォード)
出生地
オランダ(デン・ハーグ)
出典
世界地図
イギリス連邦(オックスフォードシャー)

伝記

ニコラース・ティンバーゲンは、1907年4月15日にオランダのデン・ハーグで生まれ、1988年12月21日に没した動物行動学者であり、鳥類学者である。「ニコ」は通称。兄は、ノーベル経済学賞の第1回受賞者のヤン・ティンバーゲン、弟は鳥類学者のルーク・ティンバーゲンである。1955年にイギリスの市民権を取得した。1973年に、コンラート・ローレンツ、カール・フォン・フリッシュとともに、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

小学校教師だった父ディルクと、母ヤーネッタの間に、5人きょうだいの3番目に生まれた。若いころから自然に関心を持ち、ライデン大学で生物学を学んだ。指導教官とともに、ハーグ近くのセグロカモメの営巣地で研究を行った。フォン・フリッシュの研究とファーブルの著作の影響を受け、ジガバチの帰巣能力を研究対象とし、1932年に出版した博士論文では、ジガバチが視覚的な目印を使って巣を見つける仕組みを調べた。1932年から33年にかけて、オランダ派遣団の一員として、グリーンランドのイヌイットの間で暮らした。この経験は、40年後に、人類の祖先の生活を復元しようと試みた際に役立った。オランダに戻ってから講師となり、動物行動の講義を命じられたことで、本格的に研究を始めた。1936年に、ローレンツがライデン大学に招かれたとき、初めて出会い、二人はすぐに意気投合して、ティンバーゲンはその「弟子」となった。1938年にはアメリカへ招かれ、各地を旅行した。アメリカの心理学を支配していた行動主義に困惑したと、のちに述べている。

第二次世界大戦が始まると、ローレンツとの通信が途絶えた。ユダヤ人職員を解雇するという大学の決定に抗議して、ドイツ軍の捕虜収容所で二年を過ごし、ナチスの捕虜となったこの経験は、ローレンツとの間に摩擦を生んだ。二人が再会したのは、1949年のことである。戦後、アメリカやイギリスに招かれ、イギリスの動物学者らの勧めでイギリスに移った。アメリカでの講義は『本能の研究』(1951年)として出版された。この本は、動物の生得的な行動や、その適応的で進化的な側面を論じ、行動生態学者や進化生物学者に、いまも評価されている。1962年に王立協会のフェローに選ばれ、1966年にオックスフォード大学の教授となった。

ティンバーゲンの研究は、一部は、当時のアメリカ心理学界で有力だった行動主義への反発として行われた。動物の行動は、環境からの刺激への単なる反応ではなく、動物の内面の情動に起因すると考え、行動の生理的な側面だけでなく、進化的な側面の研究の重要性を強調した。その考えから示した、行動を説明する4つの問い(ティンバーゲンの4つのなぜ)は、行動生態学など、後の行動生物学の重要な枠組みになっている。ノーベル賞の対象となったのはイトヨの本能行動に関する研究である。1970年代からは、妻とともに自閉症の研究にも関心を寄せた。オックスフォード大学では、デズモンド・モリス、パトリック・ベイトソン、リチャード・ドーキンスなど、優れた動物行動学者を育てた。1974年にオックスフォード大学を退職し、1988年に自宅で脳卒中のために死去した。

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