伝記
レイモンド・クリーヴィー・カーヴァー・ジュニアは、1938年5月25日、オレゴン州クラッツカニーに生まれたアメリカの小説家、詩人である。短編小説とミニマリズムの名手として、ヘミングウェイやチェーホフと並び称されることも多い。生まれたのは、コロンビア川沿いの製材の町で、育ったのはワシントン州ヤキマである。父クリーヴィーはアーカンソー出身の製材所の労働者で、釣りを好み、酒を深く飲んだ。母エラは、ウェイトレスや店員の仕事を断続的にしていた。1943年に弟が生まれた。少年のころは、ミッキー・スピレインの小説や釣りと狩りの雑誌を読み、友人や家族と狩りや釣りに出かけた。
1956年にヤキマの高校を卒業し、カリフォルニア州の製材所で父と働いた。1957年6月、19歳で、16歳のメアリアン・バークと結婚した。同年12月に長女が生まれ、1年後に長男が生まれた。配達員や用務員、図書館の助手、製材所の労働者として働き、メアリアンも事務員や教師、販売員、ウェイトレスとして働いて、家計を支えた。長女の誕生後にカリフォルニア州立大学チコ校に入り、夜に働きながら、創作のクラスで小説家ジョン・ガードナーに師事した。ガードナーは、のちまで大きな影響を与える師となった。1960年にフンボルト・ステート・カレッジに移り、このころから学校の文芸誌の執筆や編集を始めた。1963年に学位を得て、アイオワ大学の創作講座に奨学金つきで入ったが、中産階級の雰囲気に適応できず、カリフォルニアが恋しくなって、課程を終えずに離れた。
1967年8月、一家でカリフォルニア州パロ・アルトに移り、そこで将来の担当編集者ゴードン・リッシュと知り合った。1971年、短編「でぶ」がジョセフ・ヘンリー・ジャクソン賞の「特別推薦」に選ばれ、『ハーパーズ・バザール』に掲載された。1972年には、カリフォルニア大学バークレー校の創作科の客員講師となった。1976年3月、リッシュの協力を得て、短編集『頼むから静かにしてくれ』を刊行した。これが初の大手出版社からの出版となった。しかし、その矢先にアルコール中毒で入退院を繰り返し、同年10月、メアリアンと別居した。1977年にはアルコール依存症の治療施設に入所した。同年11月にダラスの作家会議で、詩人のテス・ギャラガーと出会い、交際を始めた。
1979年3月、シラキュース大学の英文学教授に任命され、1980年1月から教壇に立った。1982年にメアリアンと離婚した。1983年9月に『大聖堂』を出版し、この作品は自身の転機であり、代表作として広く知られている。同年にオー・ヘンリー賞を受賞した。1987年9月、肺から出血し、肺がんと診断された。さらに脳にも転移しており、放射線治療などを受けた。1988年6月17日にテスと結婚し、8月2日、ワシントン州ポートエンジェルスの自宅で死去した。
日本には、村上春樹が紹介した。文芸誌『海』1983年5月号の特集で、7つの短編が最初に翻訳され、村上は同年7月に作品集『ぼくが電話をかけている場所』を出版した。以来、ほとんどの作品の翻訳を手がけている。1984年には、アメリカの自宅にカーヴァーを訪ねた。2004年7月に『レイモンド・カーヴァー全集』全8巻が完結した。
同じ年に亡くなった人物
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- シェリフ (1988年没)
- ヤン・ヘイン・ドナー (1988年没)
- ディヴァイン (1988年没)
- アンドレ・ナヴァラ (1988年没)
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