HISTORICAL PERSON · 1987年没

ダリダ

エジプト生まれのイタリア系フランス人歌手。フランスの国民的歌手として31年間活動し、世界で1億7,000万枚以上のレコード売上を記録した。

生涯
1987年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 18区)
出生地
エジプト・アラブ共和国(Shobra)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

ダリダは、1933年1月17日、エジプト王国のカイロで、イオランダ・クリスティーナ・ジリョッティとして生まれた歌手、女優である。父ピエトロと母フィロメナ・ジュゼッピーナはともに、イタリアのカラブリア州セラストレッタの生まれで、移民の親に連れられてエジプトへ来た。父は学校で音楽を学び、居酒屋でバイオリンを弾いた。母は仕立て屋で働き、のちに主婦となった。結婚した年に、一家はカイロのシュブラ地区に住み、1930年に兄オルランド、1936年に弟ブルーノが生まれた。のちに父がカイロのオペラ座の第1バイオリンになり、一家は二階建ての家を買った。10か月のときに目の感染症にかかり、40日間包帯を巻いた。父は子守歌をバイオリンで弾いて落ち着かせた。3歳から5歳の間に目の手術を受け、小学校の間は眼鏡をかけなければならず、からかわれた。のちに「世界がぼやけて見えるほうがましだと思い、窓から投げ捨てた」と回想している。

1940年、連合軍が父たちイタリア人男性を砂漠の収容所に送った。1944年に釈放された父は、別人のように暴力的になっており、彼女と近所の子供たちは怖がった。のちに「父が私をぶつときも、母や兄弟をぶつときも憎んでいた。死んでほしいと願って、本当に死んだ」と語った。父は彼女が12歳の1945年に、脳の膿瘍で亡くなった。やがて、映画館の映写技師だった叔父の仕事に影響されて、演技に興味を持つようになった。1951年に卒業して、製薬会社のタイピストとして働き始めたが、女優になる野心は持ち続けた。親友に勧められて小さな美人コンテストに出て、2位になった。写真が新聞に載り、母は怒って髪を短く切ったが、のちに折れて、彼女は仕事を辞めて、ファッションモデルを始めた。1954年度の「ミス・エジプト」に選ばれたほどの美貌を持った。

エジプトの映画監督3人が、彼女を起用した。1954年の映画の脇役で、ダリラという芸名を使い、後にダリダと変えた。1956年にバークレー社と契約し、「バンビーノ」で歌手として最初のヒットを出した。1957年から1961年までフランスでレコードが最も売れる歌手となった。歌手や女優の仕事は基本的にフランス語で行ったが、イタリア語、アラビア語、英語、スペイン語、ドイツ語でも歌った。日本には、1962年、1970年、1974年の3回、来日した。アラン・ドロンと共演した「あまい囁き」や「18才の彼」でも知られる。1967年に、恋人のルイジ・テンコが自殺した。深く動揺したが、仕事を続け、兄オルランドと設立したレコード会社で活動した。何年もうつ病に苦しんだ末に、1987年5月2日夜、バルビツール酸系の薬を過量に服用して自殺を図り、翌日に亡くなった。全世界で1億4000万枚以上とも、1億7000万枚以上ともいわれるレコードを売ったと伝えられる。墓はパリのモンマルトル墓地にある。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物