伝記
レオ・ジェームス・レインウォーターは、1917年12月9日に生まれ、1986年5月31日に没したアメリカ合衆国の物理学者である。原子核のいくつかが非対称な形をしていることを明らかにした功績で、1975年にオーゲ・ボーア、ベン・モッテルソンとともにノーベル物理学賞を受賞した。最初の名のレオは使わず、つねにジェームスまたはジムと呼ばれた。
アイダホ州カウンシルで、元土木技師で地元の雑貨店を営んでいた父と、母エドナの間に生まれた。父は1918年に大流行したインフルエンザのために亡くなり、母とともにカリフォルニア州ハンフォードに移り、母は、ジョージ・ファウラーという男やもめと再婚した。高校では数学、化学、物理にすぐれ、化学の競技会での成績によって、カリフォルニア工科大学に入学を認められ、1939年に物理学の学士号を得た。
その後、コロンビア大学の大学院に進んだ。当時のコロンビア大学は、物理学で名高い大学ではなかったが、ジョージ・ペグラムが物理学科を強化し、エンリコ・フェルミらを迎えたことで、状況は変わりつつあった。ここでイジドール・ラービ、フェルミ、エドワード・テラー、ジョン・ダニングに学んだ。1941年に修士号を得て、博士論文では、中性子分光器を作って、その使い方を開発した。1942年3月にエマ・ルイーズ・スミスと結婚し、息子3人と娘1人をもうけたが、娘は白血病のため9歳で亡くなった。フェルミらの原子炉のグループがシカゴへ移ったのちも、コロンビア大学に残り、マンハッタン計画の代用合金材料研究所に加わった。主な任務は、原子爆弾に使うウラン235を作るための、ガス拡散技術の開発であり、レインウォーターは主に、中性子分光器を使って、中性子の断面積の研究を行った。戦後、これらの論文は機密を解除されて発表され、1946年に博士号を授与された。1963年には、マンハッタン計画での仕事に対して、アーネスト・ローレンス賞を受けた。
コロンビア大学に講師として残り、1948年から原子核の構造についての講義を始めた。1949年のコロンビア大学の討論会で、チャールズ・タウンズが、殻模型が示すより大きな四重極モーメントを示す実験結果を報告した。レインウォーターは、原子核が球形ではなく、他の形をとりうるのであれば、液滴模型と殻模型の違いを調停し、これを説明できると考えた。1950年に理論の論文を発表し、同じころ、同じ研究室を使っていたオーゲ・ボーアも、独立に似た考えに達していた。ボーアとモッテルソンは、1952年と1953年の3本の論文で、入手できるデータとの説得力ある一致を示した。海軍研究局の資金で、ハドソン川沿いのネヴィス研究所に、シンクロサイクロトロンを建設した。1946年にコロンビア大学の物理学科の教員に加わり、1952年に教授となり、1982年にはピューピン講座の教授に就任した。エックス線に関する科学的な理解にも貢献し、原子力委員会や海軍の研究計画にも参加した。
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