伝記
アルバ・ライマル・ミュルダールは、1902年1月31日にスウェーデンのウプサラで生まれた、外交官、政治家、評論家である。両親は、社会民主主義者で不動産開発業のアルベルト・ライマルと、専業主婦のロヴァ・ヨンソンで、4人のきょうだいがいた。幼い頃に一家はエスキルストゥーナなど複数の都市に移り住んだ。文学、宗教史、心理学、とくに児童心理学を学び、1924年にストックホルムで学位を得た。同じ1924年に、グンナー・ミュルダールと結婚した。1929年には、二人でロックフェラー財団の奨学生としてアメリカを旅する機会を得て、アルバは社会心理学と児童心理学の研究を深め、そこで見た大きな社会的、経済的格差が、政治的な関与を強める一因となった。その後ジュネーヴに移り、戦間期のヨーロッパで多くの人々が心配していた人口減少の問題を、夫婦で研究し始めた。
1930年代に注目を集め、スウェーデンの福祉国家の形成を進めた主要な推進力の一人となった。1934年に、グンナーとの共著『人口問題の危機』を刊行し、個人、特に女性の自由を可能にする社会改革を見つけることが基本だと説いた。優生学の考え方も紹介している。子供の養育の責任を、親同士のほか、訓練を受けた保育者を擁する地域社会とも分かち合う重要性も強調した。1935年には、スウェーデンの幼児教育の制度の改革案を述べた書物を出し、保育が、貧しい人向けの救済と、裕福な家庭の私立校への準備の両極に分かれていることを批判した。保育所のネットワークや児童手当の創設など、当時としては非常に急進的な提案を含んでいた。社会省に専門家として意見を求められ、人口委員会の委員を務め、既婚女性の雇用に関する委員会の事務局にも加わった。1936年には国民教育セミナーを共同で創設して校長となり、幼児教育の教員の養成にあたった。1937年にはストックホルムで、建築家スヴェン・マルケリウスと協同住宅を設計し、女性の家庭内での自由を広げようとした。
1938年に夫妻でアメリカに移り、1941年にスウェーデンの家族の研究を扱う『国家と家族』を出版した。スウェーデン社会民主労働党の昔からの支持者で、1940年代の終わりには国際連合の諸問題にも取り組み、1949年から福祉問題の部局を、1950年から1955年まで国連教育科学文化機関の社会科学部局の長を務めた。国連で女性が要職に就く初めての例でもあった。1962年にスウェーデンの国会議員になり、同年から1973年まで、ジュネーヴで開かれる国連の軍縮会議でスウェーデン代表を務めた。1966年から1973年には軍縮に関する首相の相談役となり、1966年から1967年にはストックホルム国際平和研究所の初代所長を務めた。1982年、軍縮交渉での役割などにより、メキシコのアルフォンソ・ガルシア・ロブレスとともに、ノーベル平和賞を受賞した。作家のヤン・ミュルダールは息子で、哲学者のシセラ・ボクは娘である。日本語に訳された著書に『女性の二つの役割 家庭と仕事』『正気への道 軍備競争逆転の戦略』がある。女性国際平和自由連盟の会員でもあった。1986年2月1日に没した。
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