伝記
ラファイエット・ロナルド・ハバード、通称L・ロン・ハバードは、1911年3月13日にネブラスカ州ティルデンで生まれたアメリカ合衆国の作家であり、宗教家である。1950年に『ダイアネティックス』を著し、1954年にはサイエントロジーを創設した。父ハリーは海軍に関係しており、新しい役職に任命されるたびに一家は移り住んだ。モンタナ州の牧場で暮らしていたとき、シャーマンと友人になり、先住民ブラックフット族と血盟の兄弟となる儀式をしたと、本人は主張している。ピュージェット湾に住んでいた1923年にボーイスカウトに加わり、13歳で最高位のイーグル・スカウトになった。
1927年から1929年にかけて、父がグアムに勤務していたため、二度、両親と極東を旅した。グアムでは、軍医の海軍中佐ジョセフ・トンプソンが、人間の心についての講義をしてくれたという。教会が1950年から1970年にかけて出した伝記によれば、祖父の支援でアジア中を旅し、中国北部やインド、チベットで「聖人に学んだ」ことになっている。だが、元信者でのちに批判者となったジョン・アタックは、その真偽に疑問を投げかけ、裁判で証拠に使われた日記には、東洋の思想の影響も、老師への言及もなかったと述べている。1930年にウッドワード少年学校を卒業して、ジョージ・ワシントン大学の土木工学科に入学した。学生新聞の編集者助手の一人となり、ほとんどの時間をグライダー・クラブなどの課外活動に割き、成績は極端に低かった。微積分学と物理学でも落第や低い評価を重ね、2年で大学を去り、学位は得なかった。
1932年6月には、カリブ海への映画撮影探検に向かい、四本マストの帆船を借り切り、50人の仲間と、花と爬虫類の標本の採集や、海賊の遺跡の撮影などをめざした。16の港のうち、訪れたのは3つだけで、本人も後に「お粗末な探検と経済的な失敗」と述べている。第二次世界大戦中の1941年に海軍に入り、広報課や情報局で勤務し、のちに駆潜艇を任された。1943年5月、サンディエゴ沖の試験航海中に敵の潜水艦2隻を攻撃したと主張して戦いは2日に及んだが、司令官は、その場に敵艦はいなかったと結論づけた。同年6月には、メキシコ領の島の沖で無許可の射撃訓練を行い、メキシコ政府の抗議を受けて、調査委員会にかけられ、警告と他の任務への配置換えを受けた。一方で、「有能で精力的」な航海士という評価も受けている。
1933年から1938年にかけて、138の作品を書き、SFや冒険もの、西部劇を航空誌やパルプ雑誌に発表した。1937年には最初のハードカバーの小説を出し、SFとファンタジーの分野で有名な作家になった。戦争の後、一時的に小説へ戻ったが、やがてダイアネティックスという自己改善の技術書を出版しようと努め、1947年に原稿を書いた。主流の出版社や医療関係者の関心は得られなかったため、長年作品を出版してきたSF雑誌編集者のジョン・W・キャンベルに注意を向け、1949年に初めてその雑誌にダイアネティックスの記事を載せた。1950年に『ダイアネティックス:心の健康の為の現代科学』を出版した。ハバードは、精神医学とそれに付随する薬品への警告を示し、そのため精神医学や製薬会社などから攻撃の的となった。サイエントロジーの教会は、ハバードの著作を教会や、識字能力の向上、薬物のリハビリテーションなど、社会活動を行う組織の指導書としている。1986年1月24日に死去した。
同じ年に亡くなった人物
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