伝記
フランク・ハーバートは、1920年10月8日にアメリカ合衆国ワシントン州タコマで生まれた小説家で、SF作家である。6作品から成る《デューン》シリーズで知られる。《デューン》では、人類の生存と進化、生態学、宗教と政治と権力の交差を描いた。SFとしてだけでなく、文学としても古典的な名作と言われる。子供のころから作家を夢見ていて、1939年に新聞社で働くため年齢を偽った。第二次世界大戦中は海軍で写真家として従軍した。1941年にフローラ・パーキンソンと結婚して、娘をもうけたが、1945年に離婚した。
戦後はワシントン大学に入り、1946年に創作のクラスで、ビバリー・アン・スチュアートと出会った。そのクラスで自分の文章を売ったことがあるのは、この二人だけであった。ハーバートはパルプ雑誌に冒険ものを2本売っており、スチュアートは雑誌に小説を売っていた。二人は1946年6月20日にシアトルで結婚し、1947年に長男のブライアンが生まれた。ブライアンによれば、フランクは自分の関心のある教科以外は学ぼうとせず、単位が足りなくて卒業しなかったという。その後はジャーナリズムに戻り、新聞社で働いた。1940年代にSFを読みはじめ、1950年代には自ら書きはじめて、雑誌に短編が載るようになり、その後の10年で20本の短編が掲載された。小説家としての経歴は、1955年の『21世紀潜水艦』に始まる。21世紀の潜水艦という状況の中で、正気と狂気を探求した作品であり、石油の消費と生産をめぐる世界的な衝突を予測していた。大成功とは言いがたかったが、それなりに売れた。
1959年に、『デューン』の下調べを始めた。そのころ妻が仕事に復帰してデパートの広告ライターとして働き始めたため、小説家の経歴に軸足を置くことができた。後のインタビューで、この小説のもとは、オレゴン州フローレンスの砂丘について雑誌の記事を書こうとしたことだと述べている。しかし砂丘にのめり込みすぎて、記事には十分すぎる材料を集めた。その記事は書かれることなく、シリーズのもとになったという。6年間の調査と執筆の末、『デューン 砂の惑星』は1965年に完成した。当時としては長大なSFだったため、1963年と1965年の2回に分けて雑誌に連載された。出版にこぎつけるまでに、約12の出版社に断られた。フィラデルフィアの小さな出版社が、7,500ドルを前払いし、すぐに評判となった。1965年のネビュラ賞の長編部門を受賞し、1966年にはヒューゴー賞も獲得した。生態学をテーマとした世界初のSF小説とされる。当時のSFとしては非常に売れたが、執筆に専念するには十分ではなかった。
1972年に専業作家となり、1970年代から80年代にかけて、商業的な成功を謳歌した。しかし1974年に妻ビバリーが癌の手術を受け、その後10年生きながらえたが、健康は蝕まれ、1984年2月7日に亡くなった。同じ年に、デヴィッド・リンチ監督の映画版『デューン』が公開された。大きな予算をかけ、有名な俳優が数多く出演したが、アメリカでの評判は悪く、ヨーロッパと日本ではそれなりの成功を収めた。同年にシリーズ5作目を出版し、その年の終わりごろテレサ・シャックルフォードと再婚した。『デューン 砂丘の大聖堂』を出版してシリーズは完結し、これが最後の作品となった。1986年2月11日、ワシントン州マディソンで膵癌のため、65歳で亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ヴィタリー・アバラコフ (1986年没)
- ヘルマ・サボー (1986年没)
- コリューシュ (1986年没)
- アドルフォ・バロンチェーリ (1986年没)
- ジェフ・シェーレン (1986年没)
同じ地域に関係する人物
- シューアル・ライト (1988年没)
- スティーヴィー・レイ・ヴォーン (1990年没)
- アーサー・マッカーサー・ジュニア (1912年没)
- ジョージ・モッセ (1999年没)
- リチャード・デイヴィス (2023年没)