伝記
ジャン・ジュネは、1910年12月19日にパリで生まれ、1986年4月15日に75歳で没したフランスの小説家、詩人、劇作家、政治活動家である。少年期から30代までは、犯罪や放浪を繰り返していた。『泥棒日記』『花のノートルダム』などの小説や、『女中たち』『バルコニー』『屏風』などの戯曲で知られる。
パリ6区で、家政婦をしていた母カミーユ・ガブリエル・ジュネのもとに生まれた。父の名はフレデリック・ブランという。生後7か月で母に捨てられ、田舎に住む木こりの夫婦の養子となった。エドマンド・ホワイトの伝記によれば、養家は愛情深く、彼によく気を配ったという。学校の成績はよかったが、家出を繰り返し、軽い窃盗も重ねるようになった。そのような不品行や浮浪のため、15歳のとき感化院に送られ、1926年から1929年まで収容された。この時期の記録は、のちの『薔薇の奇蹟』に書かれている。18歳で外人部隊に志願して入隊したが、わいせつ行為が見つかって不名誉除隊となり、のちに脱走してフランスを離れたとも伝わる。ヨーロッパを放浪した間にも、窃盗や乞食、男娼、麻薬の密売などを繰り返した。その経験は、1949年の『泥棒日記』に描かれている。
1930年ごろ、二十歳のときに、十年間愛していた少女が死に、命日に「自分が感動するために」詩を書いた。この詩は失われ、現存する処女作は、1942年の「死刑囚」である。1937年にパリへ戻ってからは、窃盗や偽造書類の使用、浮浪、わいせつ行為などで逮捕され、刑務所に出入りした。1942年にフレーヌの刑務所で服役中、「死刑囚」という長詩を書き、二十歳の殺人者モーリス・ピロルジュに捧げた。1945年には、もう一篇の詩とともに『秘密の歌』という小さな本にした。パリで作家ジャン・コクトーに作品を読ませて、その文才を認めさせ、1944年に文芸誌に小説『花のノートルダム』の抜粋が掲載された。これが公に発表された最初の作品である。1944年に『薔薇の奇蹟』を執筆し、同年、終身禁固刑の求刑を前に、コクトーらが介入して自由になった。1947年には『ブレストの乱暴者』や『女中たち』を書いた。サルトルらの請願により大統領の恩赦を獲得し、二度と刑務所には戻らなかった。
1950年には映画『愛の唄』を制作した。映画はこれ1本だけである。サルトルは1952年にジュネ論『聖ジュネ』を書き、強い影響を受けた彼は、数年にわたって執筆を止めた。その後、1956年に『バルコン』、1961年に『屏風』を書いた。1967年に自殺未遂を起こしたあとは、五月革命に政治参加し、ベトナム戦争の反対運動に加わり、移民問題にも関心を寄せた。1970年にはブラックパンサー党に招かれ、アメリカ中で講演をした。同年、パレスチナ解放機構の提案でヨルダンに留まり、ヤーセル・アラファートと会見している。これらの体験は、遺作の『恋する虜 パレスチナへの旅』に結実した。1982年にはベイルートで、サブラー・シャティーラ事件に直面し、事件後に訪れたシャティーラの見聞を『シャティーラの四時間』に記した。アルベルト・ジャコメッティとの親交もよく知られている。
同じ年に亡くなった人物
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- サモラ・マシェル (1986年没)
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