伝記
カール・シュミットは、1888年7月11日に生まれ、1985年4月7日に没したドイツの思想家、法学者、政治学者である。法哲学や政治哲学の分野に大きな足跡を残した。
ドイツのヴェストファーレン地方のプレッテンベルクで、カトリックの家に生まれた。ベルリン大学、ミュンヘン大学、ストラスブール大学などで学び、1916年に『国家の価値と個人の意義』で教授資格を取得した。同じ年に兵役につき、またセルビア人女性と結婚した。ボン大学、ベルリン商科大学、ケルン大学で教授を歴任したのち、ナチス政権が成立した1933年から1945年まで、ベルリン大学の教授を務めた。
独自の法学思想に基づいて、第一次世界大戦後のヴァイマル共和政下で、議会制民主主義と自由主義を批判した。ナチスが政権を獲得した1933年からはナチスに協力し、その法学理論を支えることになった。しかし、政権が成立する前に、著書『合法性と正統性』で、共産主義者と国家社会主義者を内部の敵として批判したことや、ユダヤ人のフーゴー・プロイスを称賛したことが原因で、1936年に失脚した。第二次世界大戦後に逮捕され、ニュルンベルク裁判で尋問を受けたが、不起訴となった。
その後は、故郷のプレッテンベルクに隠棲して、著述を続け、1950年代からは国際法を研究した。隠棲してからも多くの人が訪れ、友人のエルンスト・ユンガーはもちろん、ヤーコプ・タウベスやアレクサンドル・コジェーヴらと親交した。優柔不断な政治的ロマン主義者が、最終的に権威に屈従していく過程を見つめ、思想の状況に「決断」を下す独裁者を要請した。『政治的なものの概念』などで展開した「友-敵理論」は、政治の本質を敵と味方の峻別と規定するもので、例外状態の理論とともによく知られている。1962年には、スペインで、19世紀のクラウゼヴィッツからレーニンや毛沢東までのパルチザンの変容を考察した講義を行い、その一部はのちに『パルチザンの理論』として出版された。
ラインハルト・メーリングの伝記によれば、私生活では、極端な反ユダヤ主義、自己破壊的で強迫的な性欲、ブルジョワ的な生活への怒りに深く苦しめられ、これが実際の行動に大きな影響を与えたといわれる。彼の主権や例外状態といった概念は、アガンベン、デリダ、ムフらの読解によって、右派だけでなく左派の政治理論にも多大な影響を与えている。
同じ年に亡くなった人物
- タンクレード・ネーヴェス (1985年没)
- ジョン・トム・アダムズ (1985年没)
- ウォルフガング・ライザーマン (1985年没)
- キキ・カマレナ (1985年没)
- ロジャー・セッションズ (1985年没)
同じ地域に関係する人物
- ラルフ・ジョルダーノ (2014年没)
- エグロン・ファン・デル・ネール (1703年没)
- ゲラルドゥス・メルカトル (1594年没)
- Nevio de Zordo (2014年没)
- ゴットフリート・ベーム (2021年没)