伝記
ジョニー・ワイズミュラーは、1904年6月2日に、オーストリア=ハンガリー帝国のバナト地方のドイツ語を話す村(現在のルーマニアのティミショアラ近く)で、ヨーハン・ペーター・ヴァイスミュラーとして生まれた、アメリカで活躍した水泳選手、俳優である。住民はアルザス地方の出身の末裔だった。父ペーター・ヴァイスミュラーと母エリザベート・ケルシュは、息子が7か月のときにアメリカへ移住した。父はペンシルベニア州の炭鉱で働いたあと、シカゴに移り、ビール工場に雇われた。弟のペーターがアメリカで生まれた一方、ほかの家族は、1918年にオーストリア=ハンガリーが解体したとき、無国籍になった。9歳でポリオにかかり、医者に水泳を勧められると、まもなく頭角を現した。12歳でキリスト教青年会の水泳チームに参加した。
1922年に、デューク・カハナモクが持っていた100メートル自由形の世界記録を更新した。この種目で1分を切った最初の男となった。1924年のパリ・オリンピックには、無国籍の者は参加できないため、弟ペーターになりすまして出場した。100メートル自由形、400メートル自由形、自由形リレーの3つで金メダルを獲得し、水球で銅メダルを得て、カハナモクの3連覇を阻んだ。オリンピックの成功のあとでアメリカ国籍が認められ、自分の名前に戻った。1928年のアムステルダム・オリンピックでは、100メートル自由形と自由形リレーの2つで金メダルを獲得した。2回のオリンピックで金メダル5個と銅メダル1個である。同年10月には、朝日新聞記者で大日本水上競技連盟理事の田畑政治の発案で、オリンピックの優勝選手を招いた国際水上競技大会が開かれ、日本を訪れた。通算で52のアメリカ選手権のタイトルを取り、28の世界記録を樹立し、頭を水面から出して泳ぐクロールを特徴とした。アマチュア時代には、1度も競技で負けなかったという伝説がある。
選手時代の活躍が業界関係者の目にとまり、1929年に下着メーカーと契約を結んで、モデルとなった。全米を回って、水泳ショー、水着のチラシ配り、サイン会などを行った。同年、初めて映画に出演し、イチジクの葉を着けてアドニスを演じた。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと7年契約を結んでから、俳優としてのキャリアが本格化した。筋肉隆々でイメージに完璧に一致したことから、1932年の『類猿人ターザン』でターザン役を演じ、世界にセンセーションを巻き起こした。原作者のエドガー・ライス・バローズも喜んだという。この役は、世界で最も有名なターザン俳優となった。モーリン・オサリヴァンがジェーン役を務める6本のターザン映画に出演し、1942年には別の映画会社に移って、さらに6本に出た。12本のターザン映画で、約200万ドルを稼いだと推定される。1948年には44歳で、体重も増え、役にふさわしい年齢と体型ではなくなり、後任に年下のレックス・バーカーが就いた。その後は別の冒険映画のシリーズに主演した。1971年の世界SF大会に招かれた際には、矢野徹から、ターザン・シリーズの小説の邦訳が始まったことを知らされて、非常に喜んだという。1984年1月20日に、メキシコのアカプルコで死去した。
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