HISTORICAL PERSON · 1983年没

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー

スウェーデンの生理学者、薬理学者。神経伝達物質の研究で1970年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。父もノーベル化学賞受賞者。

生涯
1983年没
死亡地
スウェーデン王国(ストックホルム県 / ストックホルム)
出生地
スウェーデン王国(ストックホルム)
出典
世界地図
スウェーデン王国(ストックホルム県)

伝記

ウルフ・スファンテ・フォン・オイラーは、1905年2月7日、ストックホルムで、二人の著名な科学者の子として生まれたスウェーデンの生理学者、薬理学者である。父ハンス・フォン・オイラー=ケルピンはドイツ人の化学教授で、1929年にノーベル化学賞を受賞した。母アストリド・クレーベは植物学と地質学の教授であり、母方の祖父ペール・テオドール・クレーベは、ウプサラ大学の化学教授で、ツリウムとホルミウムの発見者だった。幼いころから科学や研究に触れて育った彼は、1922年にカロリンスカ研究所の医学部に進んだ。ロビン・ファーレウスのもとで赤血球沈降速度とレオロジーを学び、血管収縮物質の病態生理学の研究を行った。1930年に博士号を取得し、同年、薬理学の助手に採用された。

1930年から翌年にかけて、ロチェスター・フェローシップを得て外国でポスドクとして研究する機会に恵まれた。イギリスに渡り、ロンドンではヘンリー・ハレット・デールに、バーミンガムではデイリーに学び、さらに大陸のベルギーのヘントではコルネイユ・ハイマンスに、ドイツのフランクフルトではグスタフ・エムデンに学んだ。旅行が好きで、1934年にはロンドンに戻ってアーチボルド・ヒルのもとで生物物理学を学び、1938年にはG・L・ブラウンについて神経と筋肉の間の情報伝達を学んだ。1946年から翌年は、ブエノスアイレスでエドゥアルド・ブラウン・メネンデスの研究室で働いた。デール、ハイマンス、ヒル、ウッセイは、みな後にノーベル生理学・医学賞を受賞しており、優れた研究者を嗅ぎ分ける嗅覚が確かだったことを示している。

デールの研究室に短期間滞在した間は実りが多く、1931年にジョン・ギャダムとともに、重要なペプチドのサブスタンスPを発見した。ストックホルムに戻ってもこの研究を続け、1935年にプロスタグランジンとベシグランジン、1942年にピペリジン、1946年にノルアドレナリンを発見した。1939年にカロリンスカ研究所の生理学教授となり、1971年まで務めた。ゲラン・リルジェストランドとの共同研究では、肺の酸素の局所的な減少に対して動脈にシャントを形成するという、オイラー=リルジェストランド機構を発見した。ノルアドレナリンの発見後は、その研究に力を注ぎ、シナプスの末端に貯まることを見いだした。1970年に、ベルンハルト・カッツ、ジュリアス・アクセルロッドとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。1953年からノーベル財団で生理学・医学部門の委員となり、1965年から委員長を務めた。ノーベル賞のほかに、1961年にガードナー賞、1965年にジャーレ賞、1967年にストーファー賞などを受け、世界中の大学から名誉博士号を贈られている。

1930年から1957年までジェーン・アンナ・マルガレーテ・ソーデンスティエルナと結婚し、4人の子供をもうけた。1958年に、ラジオ局に勤めていたダグマー・クロンステッドと再婚した。彼女は、第二次世界大戦中にケーニヒスベルクのラジオ局で、中立国のスウェーデンに向けてドイツの宣伝放送を行っていた。1973年に王立協会外国人会員に選ばれ、1983年3月9日に没した。

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