伝記
カレン・アン・カーペンターは、1950年3月2日にアメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイヴンで生まれ、1983年2月4日に没した歌手でドラマーである。兄のリチャードとともにカーペンターズを組み、ヴォーカルとドラムを担当した。声種はアルトで3オクターブの声域を持ち、その声の美しさは、ジョン・レノンやポール・マッカートニーをはじめとする一流のアーティストにも絶賛された。
父ハロルドは、宣教師の子として中国の梧州で生まれ、印刷業に就いた。三つ年上の兄リチャードは、早くからピアノの神童として知られた。1963年6月、家族は父の仕事の都合でロサンゼルス郊外のダウニーへ転居した。その頃、兄が近所の公園のコンサートでピアノを弾いていたとき、促されてスキータ・デイヴィスの「この世の果てまで」を歌った。これが兄妹一緒に人前で行った初めての演奏となる。13歳の頃は、将来は看護師か画家になるのが夢だったという。ダウニー高校ではマーチングバンド部に入り、ビートルズのリンゴ・スターやジャズ・ドラマーのジョー・モレロが使うドラムを両親にねだった。以前にサックスやフルートを挫折していたため、両親や兄は続くかどうか半信半疑だったが、本人はドラムに没頭して練習を重ね、民族音楽にあるような変拍子もこなすようになった。本格的にボーカルのトレーニングを受けに行くと、トレーナーから「あなたには、何も教えるものはない」と言われたという。
1969年4月22日、兄妹は「カーペンターズ」の名義でA&Mレコードと契約を結んだ。彼女は初期はドラマー兼ヴォーカリストだったが、活動が活発になるにつれてヴォーカリストとして前面に立つことが増え、やがて兄の意向もあってヴォーカル専門になった。タムの多いドラムを好んだため、観客席から見えにくかったことも理由の一つだった。ドラマーとしては、リズムキープ力が高く評価された。「イエスタデイ・ワンス・モア」の録音では、兄が前半部分だけを録り直したいと求めた。当時の技術では、テープの切り貼りでしか実現できなかったが、彼女の正確なリズムで録り直しに成功し、繋ぎ目は繋いだ本人にも分からないという逸話がある。兄が睡眠薬依存症のリハビリを行っていた1980年にはソロ・アルバムを制作したが、周囲の反対もあって本人が発表を断念した。このアルバムは、死後の1996年に『遠い初恋』として発表された。
子供が大好きで、子供のような無邪気さと純粋さを持ち、周囲から好かれていた。一方で、自分は太りすぎだという固定観念を持ち、それがやがて精神的な病になっていった。1974年の3度目の来日時には、兄とともに和服姿の写真を撮影したが、本人によると、この頃が最も太っていたという。そこで発奮してダイエットに励むうちに、摂食障害に悩まされるようになり、それが寿命を縮める結果となった。1975年に予定されていた日本公演は中止となり、同年9月の体重は41キロだった。1980年に若手実業家のトム・バリスと結婚したが、翌年暮れには破綻した。
1983年2月4日の早朝、両親の家で意識不明の状態で発見され、同日に死去した。32歳であった。死因は急性心不全で、長期の闘病が心臓に負担をかけていたうえ、急激に体重を戻したことが致命的になったと思われる。バリスとの離婚同意書に署名する約束の約6時間前だったため、死後も既婚のままとなった。彼女の死は社会に大きな衝撃を与え、摂食障害が社会的に認知されるきっかけとなった。遺体は2003年末に、兄の自宅に近い墓地に改葬された。
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