HISTORICAL PERSON · 1982年没

カール・フォン・フリッシュ

オーストリアの動物行動学者。ミツバチが8の字ダンスで意思を伝えることなどを発見し、1973年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

生涯
1982年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バイエルン州 / ミュンヘン)
出生地
オーストリア共和国(ウィーン)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バイエルン州)

伝記

カール・リッター・フォン・フリッシュは、1886年11月20日、ウィーンで、外科医のアントンと、作家である妻マリーの四男として生まれたオーストリアの動物行動学者である。父アントンは、ウィーン大学医学部外科教授テオドール・ビルロートの助手を務めた人物だった。幼いころから動物の収集家であると同時に熱心な観察者でもあり、観察のレポートをアマチュア雑誌に投稿して、たびたび掲載された。自宅の海水の水槽で飼っていたイソギンチャクが、夕方に電灯をつけると触糸を動かす原因が、温度の上昇か光かを実験したレポートには、のちの動物行動学者の片鱗が見える。

動物学に関心が集中していたが、父が医学のほうが現実的だと考えたため、1905年にウィーン大学の医学部に入学した。講師には叔父のジークムント・エクスナーがおり、人体生理学の講義の中で他の動物の研究を行うことを認め、蝶や甲虫、エビの複眼の色素が明るさによってどこへ移動するかという動物生理学のテーマも与えた。フリッシュは自分には医学の素質がないと考えてウィーン大学を退学したが、2年間の医学課程で学んだ解剖学、組織学、生理学の基礎は、動物学でも研究の基礎となった。10年後に再び医学に熱心に取り組むとは思わなかったと、のちに回想している。

1908年にミュンヘン大学の動物学研究所に移り、ヘルトヴィヒの講義を受け、第1助手のリヒャルト・ゴルトシュミットのもとで、魚類の感覚と体色の研究を続けた。魚の頭部に感覚器が大量にあることを突き止め、目が退化した魚が光に反応して体色を変えるしくみを説明し、この研究で1910年に博士号を取得した。小魚が色を感知できることも示したが、好意的には受け取られなかった。ダーウィンの自然選択説を信じ、魚の体色の変化は生存の成功に関わっていると予測した。その後ミツバチの研究に取り組み、色覚と花びらの色の共進化を明らかにした。1914年に第一次世界大戦が始まると、兵役は免れて病院で働き、1917年に看護婦だったマルガレーテ・モーアと結婚して、3人の娘と1人の息子をもうけた。

1919年に講師として大学に戻り、ミツバチの「ダンス言語」のような複雑な行動の存在を示した。ミツバチが紫外線に鋭敏な感覚を持つことや、コミュニケーションの手段としての8の字ダンスも発見した。1921年にミュンヘン大学とロストック大学で教授となり、魚類の聴覚を研究した。1923年にヴロツワフ大学の教授を経て、1925年からミュンヘン大学の動物学研究所で働いたが、第二次世界大戦中に大学が破壊され、二度目の敗戦の後にグラーツ大学へ移った。1938年にオーストリア科学学士院会員に選ばれている。1950年にグラーツ大学の後任にコンラート・ローレンツを推薦し、動物学科の再建のためミュンヘン大学に戻った。1958年に退職してからも、動物行動学とミツバチの生態に関する本を書き続けた。1952年にユネスコから科学普及の功績でカリンガ賞を受け、1962年にバルザン賞を受け、1973年に、ニコ・ティンバーゲン、ローレンツとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。1982年6月12日に没した。

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