伝記
アエティオスは、1世紀または2世紀ごろの学説誌家で、折衷派の哲学者とされる古代ギリシアの著述家である。生涯についてはほとんど伝わらず、ペリパトス派(逍遥学派)の哲学者とされることもある。その名は、自身の著作が現存しないにもかかわらず、哲学者たちの引用を集めた二つの大きな編纂書をめぐる謎を解く鍵として知られている。
現存する二冊の書物として、『哲学者たちの見解』(プラキタ・フィロソポルム)と『自然学抜粋集』(エクロガエ・フィシカエ)がある。前者は偽プルタルコス、後者はストバイオスの手になるものである。どちらも、より大きな一つの著作を要約したものであることは明らかだった。ドイツの古典学者ヘルマン・ディールスは、1879年の大著『ギリシア学説誌家』で、5世紀の神学者テオドレトスが、この二つの要約で短縮されている引用の完全な形を持っていることを見いだした。つまりテオドレトスは、偽プルタルコスとストバイオスが要約した元の書物を入手していたことになる。テオドレトスはその書物を「アエティオスの、哲学者たちの見解の集成」と呼んでいる。そのため、元の『見解集』はアエティオスの著作とされる。フランス語圏の記述では、テオドレトスが『ギリシア人の病の治療』の中で三度アエティオスに言及しているとされる。
ディールスは、アエティオス自身もまた、彼が『最古の見解集』(ラテン語でウェトゥスタ・プラキタ)と名付けた、さらに古い著作を要約しただけだと主張した。しかし、テオドレトスによって実在が裏づけられるアエティオスと違い、『最古の見解集』はディールスの創案であり、現代の古典学者にはおおむね退けられている。
また、ディールスによる復元は、資料の解釈をめぐって批判を受けた。アエティオスが実在したこと自体にも疑問が出されており、ある研究者はこの書物を、まだアンモニオスの弟子だった若いころのプルタルコスの作とみなした。偽プルタルコスの作が哲学者プルタルコスに誤って帰されたのだとする研究者もいる。学術論文でアエティオスのものとされる引用は、実際には偽プルタルコスやストバイオスの要約、まれにテオドレトスの完全な引用、あるいは誤引用を正した古代の著述家たちの記述から見いだされたものである。
『哲学者たちの見解』は中世にアラビア語に訳され、ディールスがアエティオスに帰した自然学の部分は、アラビア・イスラム世界の哲学者たちにとって、ソクラテス以前の哲学者に関する主要な情報源となった。
同じ年に亡くなった人物
- 孫策 (200年没)
- 仲哀天皇 (200年)
- Pudentiana (200年(推定))
- ガレノス (200年没)
- アエリアヌス・タクティクス (200年(推定))
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