伝記
マックス・ルートヴィヒ・ヘニング・デルブリュックは、1906年9月4日、ベルリンで生まれた生物物理学者である。ベルリン大学の歴史学者ハンスの7番目で末の子であり、母カロリーネ・ティールシュは外科学の教授の娘で、化学者リービッヒの孫にあたった。父はヴェルサイユ条約の際にドイツ代表団に加わった人物でもある。彼は学者や文人が多く住むベルリン郊外のグルーネヴァルトで育ち、数学と、とりわけ天文学に早くから興味を示した。化学者カール・フリードリヒ・ボンヘッファーと親しくなったのもこの頃である。
1924年にテュービンゲン大学で天文学を学び始めたが、いったんやめ、ボン大学を経てベルリン大学に移った。冬には天文台で助手を務め、集まる研究者を通じてプランク、アインシュタイン、ネルンスト、ラウエらと知り合い、1926年の初めにはハイゼンベルクのセミナーにも出た。同年の夏にゲッティンゲン大学に移ると3年を過ごし、天体物理学から理論物理学に転じた。ヒルベルト、フランク、ボルン、エーレンフェストらの講義を聞いた。1928年にボルンの助手となって最初の論文を発表し、1930年に博士号を取得した。その間、ブリストルで1年半を過ごし、ロックフェラー財団の奨学金で1931年から翌年にかけてデンマークとスイスに学んだ。コペンハーゲンではニールス・ボーアのもとにいて、チューリッヒではヴォルフガング・パウリに学んだ。ボーアが講演で、物理学の相補性のような原理を生物学にも探すべきだと呼びかけたことが、彼を生物学に向かわせた。
1932年にベルリンに戻り、カイザー・ヴィルヘルム化学研究所で、オットー・ハーンのチームにいたリーゼ・マイトナーの助手となった。1934年からは、自宅で物理学者や生物学者との非公式な討論会を開いた。そこにいたロシア人遺伝学者ティモフェーエフ=レソフスキーらとの1935年の論文は、のちにシュレーディンガーの『生命とは何か』にも影響を与えた。1937年にアメリカに移り、カリフォルニア工科大学でショウジョウバエの遺伝学を始め、細菌やバクテリオファージも研究した。1939年にはE・L・エリスとの論文で、ウイルスが細胞を持つ生物と違って一段階で複製することを示した。1941年にメアリー・ブルースと結婚し、4人の子供をもうけた。第二次世界大戦中、兄ユストゥスや姉エミーの夫クラウス・ボンヘッファーはナチスへの抵抗運動に加わり、クラウスと弟のディートリヒは政権末期に処刑された。デルブリュックは大戦中もアメリカに留まり、ヴァンダービルト大学で物理学を教えた。
1942年には、インディアナ大学のサルバドール・ルリアとともに、細菌のウイルス抵抗性は適応でなく突然変異によると示した。このルリア=デルブリュックの実験により、彼らはアルフレッド・ハーシーとともに1969年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。1940年代にはコールド・スプリング・ハーバー研究所にファージ遺伝学の研究グループを作り、このファージ・グループは初期の分子生物学の発展に大きな役割を果たした。1950年代から感覚生理学の研究を始め、ケルン大学に分子遺伝学の研究所を立ち上げた。1967年には王立協会外国人会員に選ばれている。1981年3月9日に没した。
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