伝記
ジャン・ピアジェは、1896年8月9日、スイスのフランス語圏にあるヌーシャテルに生まれた心理学者で、20世紀に最も影響力の大きかった心理学者の一人とされる。父アルテュールはヌーシャテル大学の中世文献学の教授で、ヌーシャテルの地方史を専門とした。母は信仰に厚く、息子をプロテスタントの雰囲気の中で育てた。ジャンは早熟で、早くから生物学に興味を示し、特に軟体動物に関心があった。
1907年、10歳のときに白スズメの観察を論文にまとめ、「ヌーシャテル博物学雑誌」に発表した。1頁だけの短いものだったが、ヌーシャテル自然史博物館の館長ポール・ゴデーに認められ、週2回、放課後に非常勤の助手を務める機会を与えられた。ゴデーは1911年に亡くなったが、ピアジェはその後もスイス、フランス、プロイセンの雑誌に軟体動物の論文を発表した。やがて、生物学が認識論の諸問題を解決する糸口を持つのではないかと考えるようになった。19歳でヌーシャテル大学の動物学科を卒業し、『ヴァレの軟体動物学序説』(1921年刊行)で理学博士号を取得した。その後、生物学と認識論を結ぶ接点として心理学に関心を移し、ローザンヌ大学、チューリッヒ大学、パリ大学で心理学を学んだ。
ジャン・ジャック・ルソー研究所の心理学研究主任を皮切りに、ヌーシャテル大学、ジュネーヴ大学、ローザンヌ大学で教え、パリ大学ではメルロー=ポンティの後任として児童心理学講座の教授を務めた。1923年の『子どもの言語と思考』に始まり、1920年代には『子どもの判断と推理』『子どもの世界観』『子どもの因果関係の認識』を次々と刊行した。1936年の『知能の誕生』、1941年の『子どもの数の発生』など、子どもの言語、世界観、因果関係、数や量の概念を探る研究を展開した。発達心理学者としては、質問と診断に基づく臨床的な研究の手法を確立している。
人の思考過程がどのように獲得されるかを説明する認知発達論では、過去の経験や知識が集積してできる認知的な枠組みを「シェーマ」と呼んだ。新たな状況に直面すると、既存のシェーマに合わせて取り込む「同化」を試み、それで対処できないときは、シェーマのほうを変化させる「調節」を行う。幼児は、同化と調節を繰り返し、均衡化を図りながら認知機能を発達させると考えた。その発達は4つの段階に分けられた。知の個体発生としての認知発達と、知の系統発生としての科学史を重ねて考察する「発生的認識論」も提唱した。1955年にはジュネーヴに発生的認識論国際センターを設立し、マリオ・ブンゲ、トーマス・クーン、シーモア・パパートらと、晩年まで精力的に共同研究を行った。1972年にエラスムス賞を受賞し、1980年9月16日に亡くなった。
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