伝記
ガーボル・デーネシュは、1900年6月5日に生まれ、1979年2月9日に没したハンガリー系イギリス人の電気工学者、物理学者である。英語圏ではデニス・ガボールの名で知られる。ホログラフィーの発明により、1971年のノーベル物理学賞を受賞した。
オーストリア=ハンガリー帝国のブダペストで、ユダヤ人一家の長男ギュンスベルク・デーネシュとして生まれた。1900年に一家はルター派に改宗したが、宗教は後年の生活でほとんど役割を果たさず、本人は不可知論者を自認したという。1902年に一家は姓をギュンスベルクからガーボルに改める許可を得た。第一次世界大戦中は、北イタリアでハンガリー軍の砲兵として働いた。1918年にブダペスト工科大学で学び、その後ドイツに渡って、現在のベルリン工科大学にあたるシャルロッテンブルク工科大学に進んだ。そこで陰極線オシログラフを使って高圧送電線の性質を調べるうちに、電子光学に関心を持ち、電子顕微鏡やテレビなど、電子線を応用した機器へと興味を広げた。1927年にブラウン管に関する論文で博士号を取得し、その後はプラズマランプを研究した。
1933年、ユダヤ人としてナチス・ドイツを逃れてイギリスへ渡り、ウォリックシャーのラグビーにある電機会社の開発部門に招かれた。ここでマージョリー・バトラーと出会い、1936年に結婚した。1946年にイギリス市民権を取得し、1947年には同社に勤務しながら、電子顕微鏡の解像度を向上させる研究の中でホログラフィーを発明した。水銀灯の光源に何重にもフィルターをかける実験で発見したものである。当時はレーザーがなく、コヒーレント長の短い光源を使わざるを得なかったため、像は鮮明ではなく、1960年にレーザーが発明されるまで注目されなかった。最初の可視光のホログラムが実現したのは、1964年のことである。基本的な考え方は、完全な光学イメージングには振幅だけでなく位相も含む全情報が必要というもので、1946年から1951年にかけて一連の論文で理論を発表した。
人間のコミュニケーションと聴覚の研究からは、音の粒を重ねる合成法の理論を生み出したが、実用化したのは作曲家ヤニス・クセナキスだとされる。この研究は、時間周波数解析の発展の基盤となった。1948年にインペリアル・カレッジ・ロンドンに移り、1958年から1967年に引退するまで応用物理学の教授を務めた。1958年には平面型テレビの新しい方式で特許を取り、のちにクライヴ・シンクレアがこの案を取り上げた。
1963年の『未来を発明する』では、戦争、人口過剰、余暇の時代を現代社会への三つの脅威と見て、「未来は予測できないが、未来は発明できる」という言葉を記した。1970年には『革新』を出版した。1971年にはノーベル物理学賞を単独で受賞した。引退後は主にイタリアで過ごしながら、インペリアル・カレッジの上級研究員として関係を保ち、アメリカのコネチカット州スタンフォードの研究所のスタッフにもなった。1972年には『成熟社会』を出版した。2009年にはインペリアル・カレッジ・ロンドンが、その業績をたたえて学寮をガボール・ホールと名づけた。
同じ年に亡くなった人物
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