HISTORICAL PERSON · 1979年没

ロバート・バーンズ・ウッドワード

アメリカの有機化学者。有機合成化学への顕著な貢献で1965年にノーベル化学賞を受賞し、1944年にはキニーネの全合成を完成させた。

生涯
1979年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / ケンブリッジ)
出生地
アメリカ合衆国(ボストン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

ロバート・バーンズ・ウッドワードは、1917年4月10日にマサチューセッツ州ボストンで、イングランド系移民の父アーサーと、スコットランドのグラスゴー出身の母マーガレット(旧姓バーンズ)の間に生まれたアメリカの有機化学者である。父はロバートが1歳のとき、1918年のスペインかぜの大流行で亡くなった。非常に幼いころから化学に関心を持ち、クインシーの公立の小学校と中等学校に通うあいだ、個人的に化学の勉強に励んだ。1928年にはボストンのドイツ大使館の総領事に連絡を取り、ドイツの学術雑誌に載った原著論文のコピーを入手した。のちの講演で、この中にディールス・アルダー反応を報告する論文があり、どれほど心をとらえられたかを述べている。キャリアを通じて、この反応を理論と実験の両面から繰り返し研究した。

1933年にマサチューセッツ工科大学に入学したが、勉強不足のため翌年に放校処分となった。しかし1935年に再び入学を認められ、1936年に学士号を取得し、翌1937年には博士号を授与された。博士論文の研究は、女性ホルモンのエストロンの合成に関連したものだった。イリノイ大学で短期間、博士研究員を務めたのち、1937年から1938年までハーバード大学の特別研究員となり、その後は生涯さまざまな立場でハーバード大学に残った。1960年代には特別教授の称号を得て、正規の授業から解放され、すべての時間を研究に打ち込めるようになった。

1940年代の最初の大きな業績は、天然物の構造決定への紫外分光法の応用に関する一連の論文である。多量の実験データから、のちにウッドワード則と呼ばれる法則を考え出した。1944年には、博士研究員だったウィリアム・デーリングとともに、マラリアの治療に用いるアルカロイドのキニーネの合成を発表した。実用的な規模で行うには長く面倒な合成法だったが、化学合成の画期的な出来事であった。1905年にドイツ人化学者パウル・ラーベが、キノトキシンという前駆体をキニーネに変換していたことに気づき、キノトキシンを合成すればキニーネに行き着くと考えたのである。当時の有機合成は大部分が試行錯誤で、これほど複雑な構造を実際に組み立てられるとは、誰も考えていなかった。ウッドワードは、有機化学を合理的な科学にできることを示した。

1940年代後半から、コレステロール、コルチゾン、ストリキニーネ、リゼルグ酸、レセルピン、クロロフィル、コルヒチンなど、多くの複雑な天然物を次々に合成した。それまで実験室で作るのは不可能と考えられていたものばかりで、その合成には芸術的な要素があるとも表現された。1953年にはテトラサイクリン系抗生物質の構造を、大きな厚紙にあらゆる実験事実を書き出して考えることで、正しく推定したとされる。1965年には、有機合成への貢献によりノーベル化学賞を受賞した。同じ年、ロアルド・ホフマンとともに、有機化学反応の立体選択性を予測するウッドワード・ホフマン則を導いた。ホフマンは1981年にノーベル化学賞を受けたが、ウッドワードはすでに死去しており、再び受賞することはなかった。ビタミンB12の全合成は、ほぼ100名のチームがアルバート・エッシェンモーザーと協力して長年取り組み、1973年に発表された。1979年7月8日、マサチューセッツ州ケンブリッジで死去した。抗生物質エリスロマイシンの合成に取り組んでいる最中で、この研究は1981年に彼のチームによって完成された。

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