伝記
クルト・ゲーデルは、1906年4月28日にオーストリア・ハンガリー帝国のモラヴィア辺境伯領ブリュン、現在のチェコ共和国ブルノで、ドイツ系の家庭に生まれた数学者であり、論理学者、哲学者である。プロテスタントとして育てられた。1919年に第一次世界大戦の敗戦で帝国が崩壊すると、チェコスロバキア共和国の国籍となったが、本人のアイデンティティはなお、オーストリア人であったという。
1924年にウィーン大学に入学して、まず物理学を学び、のちに数学を学んだ。1930年に最初の重要な業績である完全性定理、すなわち第一階述語論理の完全性定理を発表し、学位論文「論理計算の完全性について」で博士の学位を得た。翌1931年には、ゲーデル数の概念を用いて不完全性定理を発表した。これは20世紀の数学基礎論と論理学にとって、最も重要な発見とされる。1940年には、ヒルベルトの第一問題である連続体仮説について、集合論のZF公理系が無矛盾ならば、そこに選択公理と一般連続体仮説を加えても無矛盾であることを証明した。これらは三大業績と呼ばれる。その後、ゲーデルは連続体仮説の研究から身を引いた。1963年にポール・コーエンが、ZF公理系に選択公理と一般連続体仮説の否定を加えても無矛盾であることを示し、両者の結果から、選択公理と一般連続体仮説はZFとは独立であることが明らかになった。ゲーデルは「これは自分がなすべき仕事だった」と悔やんだと言われるが、コーエンの仕事を絶賛した。本人は、連続体仮説についてはその否定を信じていたとされる。
ウィーン大学で講師を務めたが、オーストリアを併合したナチス・ドイツから逃れるため、1940年ごろ妻アデーレとともにアメリカ合衆国へ移った。プリンストン高等研究所の教授となり、アインシュタインと家族ぐるみで親しく交わって、物理学や哲学を論じ合った。その成果が、1949年のアインシュタインの一般相対性理論におけるゲーデル解である。この解はきわめて奇妙な性質を示したため、アインシュタインに自身の理論への疑問を抱かせたといわれる。1948年にアメリカの市民権を取得した際は、アインシュタインが保証人に名を連ねた。面接試験に備えて合衆国憲法を一から勉強したゲーデルは、面接当日、憲法が独裁国家へ合法的に移行する可能性を秘めていることを発見したと語り、付き添いの人々を当惑させた。判事が、独裁国家から来た彼に、アメリカではそのようなことは起きないと言うと、彼は即座に、どうしてそうなりうるかを証明できると答え、アインシュタインらが慌てて取り繕う一幕があった。
1970年代初頭には、ライプニッツによる神の存在証明を洗練させたとされる論文を知人に配ったが、誤解を恐れて生前は公表しなかった。この論文は没後の1987年にデイナ・スコットによって初めて出版された。晩年は非常に内向的になり、毒殺されるのを恐れて妻アデーレの作った食事しか口にしなかった。毒ガスによる暗殺を恐れて、冬でも家の窓を開け放っていたという。妻が入院して家を離れていた間に絶食による飢餓状態となり、病院に運ばれたが、1978年1月14日にプリンストン病院で死去した。71歳であった。死亡時の体重は65ポンド、約29.5キログラムしかなかった。
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