HISTORICAL PERSON · 1977年没

ピーター・フィンチ

イギリス出身の俳優。映画『ネットワーク』で狂気に蝕まれるキャスターを演じ、急逝後にアカデミー主演男優賞を受け、演技部門で史上初の死後受賞となった。

生涯
1977年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ビバリーヒルズ)
出生地
イギリス連邦(サウス・ケンジントン)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ピーター・フィンチは、1916年9月28日にロンドンのサウス・ケンジントンで生まれたイギリス出身の俳優で、本名はフレデリック・ジョージ・ピーター・イングル・フィンチという。母アリシア・グラディスはケント州の法廷弁護士の娘で、前年にオーストラリア生まれの化学者ジョージ・イングル・フィンチと結婚していた。ところが、ピーター自身が40代半ばになって知ったところでは、実の父はインド陸軍の将校ウェントワース・エドワード・ダラス・キャンベルであった。ジョージは1920年に、妻とキャンベルの不貞を理由に離婚し、アリシアは1922年にキャンベルと再婚した。ジョージは息子の親権を得て、ピーターは実母から引き離され、養父方の祖母ローラ・フィンチに連れられ、フランスのヴォークレッソンで育てられた。

1925年にはローラとともにインドのマドラス近郊の神智学の共同体アディヤールで数か月を過ごし、一時は仏教の僧院で暮らした。この体験のためか、のちのちまで自分は仏教徒だと言い続けた。1926年にオーストラリアへ送られ、シドニーのグリニッジ・ポイントに住む大叔父のもとで暮らした。ノース・シドニーの中等学校に1929年まで通ったが、15歳で学校をやめ、さまざまな仕事のなかで新聞社の使い走りもした。しかし関心は演技にあり、1933年の暮れには劇団の舞台に立った。1934年から35年にかけてはドリス・フィットンの率いるサヴォイ劇場の公演に出演し、ヴォードヴィルや見世物小屋の客引きもした。19歳のときには巡業の一座とともにオーストラリア各地を回っている。

ラジオ俳優としても活動し、ラジオ劇の制作者ローレンス・H・セシルの目にとまって、1939年から1940年にかけて指導を受けた。子供向け番組の役を演じ、探偵夫妻の人気連続ドラマでも活躍した。映画での初出演は1935年の短編で、シンデレラの物語の王子の役だった。1938年に長編映画『ダッド・アンド・デイヴ・カム・トゥ・タウン』の小さな喜劇的な役で映画デビューを果たし、好評を得た。1941年6月2日にオーストラリア陸軍に入隊し、中東で勤務したのち、ダーウィン空襲の際には高射砲手を務めた。軍務の合間にラジオや舞台、映画に出演し、1945年には自ら演出した芝居で基地や病院を回った。同年10月31日に軍曹の階級で除隊し、戦後もラジオで活動して、1946年と1947年に最優秀男優賞を受けた。

その後、ローレンス・オリヴィエの目にとまり、しばらく舞台で活躍した。この時期、当時オリヴィエの妻だったヴィヴィアン・リーと不倫関係になったこともあった。1940年代後半からは再び映画に重きを置き、1950年にハリウッド・デビューを果たした。1971年の『日曜日は別れの時』では、同性愛のユダヤ人の開業医を演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。1976年の『ネットワーク』では、ニュース番組の放送中に拳銃自殺を予告し、徐々に狂気に蝕まれていくキャスターを演じて、再び候補となったが、その直後の1977年1月14日、急性心不全で急逝した。授賞式で主演男優賞が贈られ、アカデミー賞の演技部門で史上初の死後受賞となった。父とされるジョージ・フィンチは登山家である。

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