HISTORICAL PERSON · 1976年没

レオポルト・ルジチカ

クロアチア出身でスイスに帰化した有機化学者。テルペノイドのイソプレン則を提唱し、テストステロンの合成にも成功した。環状ケトンの研究とあわせ、1939年にノーベル化学賞を受賞した。

生涯
1976年没
死亡地
スイス連邦(トゥールガウ州 / Mammern)
出生地
クロアチア共和国(ヴコヴァル)
出典
世界地図
スイス連邦(トゥールガウ州)

伝記

レオポルト・ルジチカは、1887年9月13日、当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったクロアチアのブコバルで、ラヴォスラフ・ステパン・ルジチカとして生まれた有機化学者である。職人と農民の家柄で、血筋はおもにクロアチア系だったが、曽祖父母の一人にチェコ系、ほかにオーストリア出身者がいたという。4歳で父ステパンを亡くし、母アマリヤ・セヴェルは、彼と弟のステパンを連れてオシエクに移り住んだ。

オシエクのギムナジウムで古典課程を学んだ。当初は司祭になることを考えていたが、技術系の学問に進路を変え、化学を選んだ。新しくできたオシエクの製糖工場に職を得たいという望みがあったからではないかとされる。日常生活と政治の苦しさに耐えかねて郷里を離れ、ドイツのカールスルーエの高等工業学校に入った。好きな科目と将来に役立つと考えた有機化学では優秀な学生だったが、物理化学の教授フリッツ・ハーバーは最優等での卒業に反対したという。一方でヘルマン・シュタウディンガーとは優れた協力関係を築き、その研究室で1910年に博士の学位を取得し、助手としてチューリッヒに移った。

研究は生涯を通じて天然化合物の化学を中心とした。シュタウディンガーのもとでは、ダルマチアの除虫菊に含まれる殺虫成分ピレトリンを調べた。5年半にわたる合成の仕事を経て、研究の方向が誤っていたとの結論に至ったと、のちに語っている。そこで香料産業にも関心のあるテルペンの化学に接し、ジュネーブの香料会社シュイ・エ・ネフと協力するようになって、シュタウディンガーと袂を分かった。1916年から1917年にはドイツの老舗香料会社の支援を受けた。1917年にスイスの市民権を得て、1918年に教授資格論文を発表し、1923年にはチューリッヒ工科大学とチューリッヒ大学の名誉教授となった。

この時期、学生たちとともに、麝香鹿から得られるムスコンと霊猫から得られるシベトンの構造を明らかにした。六員を超える環を持つことが示された最初の天然物で、シベトンが17員環だと推定した。当時の合成法は八員環までしか知られておらず、ルジチカは大環状化合物の存在を明示した。この合成法は「ルジチカ大員環合成」と呼ばれ、1927年にシベトンの調製で実証された。その後バーゼルの会社で働き、1927年にはオランダのユトレヒト大学で有機化学講座を担当した。3年ほどでスイスに戻り、1929年にチューリッヒ工科大学の教授となった。

1934年に男性ホルモンのアンドロステロンの合成に成功し、翌1935年にはより活性の高いテストステロンを部分合成した。これらの成果で、スイスの産業はステロイドホルモンの分野で優位に立った。研究室は有機化学の世界的な中心となり、研究の幅は高級テルペンとステロイドにも広がった。1936年にはハーバード大学から名誉学位を贈られた。1939年には、ポリメチレンと高級テルペンの研究と、男性ホルモンの初の化学合成を理由に、ノーベル化学賞を受けた。テルペノイドのイソプレン則の提唱でも特に知られ、構造の解明に役立った。生涯に8つの名誉博士号を受け、1976年9月26日に世を去った。

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