伝記
ペール・ラーゲルクヴィストは、1891年5月23日にスウェーデン南部スモーランド地方のベクショーで生まれた作家・詩人・劇作家である。家庭は伝統的な信仰に厚く、のちに本人は、家にあった本は聖書と讃美歌集だけという幸運のなかで育ったと、さほど誇張なく語っている。十代のうちにキリスト教の信仰からは離れたが、同世代の多くの思想家のように宗教そのものを激しく攻撃する道は選ばなかった。生涯の大半は政治的には社会主義者であったが、宗教は民衆の阿片だという考えに安住することもなかったという。
初期の彼は、モダニズムと美的に急進的な立場を支持し、1913年の宣言的な著作『言葉の芸術と絵の芸術』や戯曲『苦しい時』にその姿勢が表れている。1916年の詩集『不安』は激しく幻滅に満ちた作品で、死への恐れ、世界大戦、個人的な危機に根ざしていた。戦争が大して意味もなく何百万もの命を奪う世界で、人はどう生の意味を見いだせるのかを探った詩集である。しかしその悲観は次第に薄れ、『永遠の微笑』(1920年)、自伝的小説『現実の客』(1925年)、散文の独白『打ち負かされた生』(1927年)では人間への信頼が前面に出てくる。『永遠の微笑』以後、表現主義的な激情や唐突な効果は影をひそめ、簡潔さ、古典的な正確さ、澄んだ語り口が目指され、ときに素朴にさえ見える。だが内容が素朴だったわけではなく、ある批評家は、彼と福音書記者ヨハネは限られた言葉で深いことを語る名手だと評した。
『不安』から10年後、二度目の結婚をし、この結びつきは妻が亡くなるまでの40年間、彼の生活の支えとなった。『心の歌』(1926年)にはその妻への誇りと愛情が表れ、『不安』よりはるかに絶望の色が薄く、彼を同世代の代表的なスウェーデン詩人の一人に押し上げた。
1930年代には、ヨーロッパを覆い始めた全体主義と暴力への懸念を作品に込めた。散文の中編『死刑執行人』(1933年、翌年に戯曲化)はナチズムを主な標的とし、ナチスの機関紙はこれを手厳しく酷評した。戯曲『魂のない男』(1936年)にもファシズム批判がある。第二次世界大戦中は反ナチスの団体「火曜クラブ」に加わり、ドイツがスウェーデンに侵攻した場合に備えたゲシュタポの死亡者リストにも名が載っていたとされる。1940年9月にスウェーデン・アカデミーの会員に選ばれ、同年12月にヴェルナー・フォン・ハイデンスタムの後任として第8席に就いた。
1944年の小説『こびと』は、悪をめぐる探究的で皮肉な物語で、北欧以外で彼が初めて好意的な注目を集めた作品となった。1949年には抒情的で独特な戯曲『人間を生きさせたい』が続く。1950年の『バラバ』は、ノーベル賞作家アンドレ・ジッドらにも傑作と称えられた代表作で、イエスの身代わりに釈放された犯罪者バラバが、なぜ自分が生かされたのかを理解しようと生涯をかけて問う物語である。1961年にはアンソニー・クイン主演で映画化された。1951年、ノーベル文学賞を受賞した。人類が直面する永遠の問いへの答えを詩のなかで探ろうとする芸術的な力と真の独立した精神が授賞理由で、1947年に初めて候補に挙げられていた。彼は善と悪という普遍的な主題を、バラバやさまよえるユダヤ人アハスヴェルスといった人物を通して描き続け、1974年7月11日に没した。
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