伝記
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは、1894年11月16日に日本の東京で生まれた、オーストリアの国際的な政治活動家である。日本名は青山栄次郎という。「汎ヨーロッパ」主義を提唱し、それは後の欧州連合構想の先駆けとなったため、欧州連合の父の一人に数えられる。父は、オーストリア=ハンガリー帝国の駐日特命全権大使ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵で、母は、東京・牛込出身の日本人、青山みつ(光子)である。ハインリヒは、大使公邸で働いていたみつと出会い、日本で結婚した。みつは日本国籍を失い、仏教から夫と同じカトリックに改宗した。リヒャルトは7人の子のうちの次男として生まれた。一家は1896年に日本を離れ、父の故郷の帝国に移って、ボヘミアのロンスペルク城で、兄弟姉妹とともに育った。
1908年にウィーンのギムナジウムに入り、1913年に卒業した。在学中に、『道徳の根本としての客観性』を書いた。1914年にウィーン大学に入り、哲学と近代史を専攻して、1917年に哲学の博士号を取得した。彼は哲学者になりたかったという。第一次世界大戦では、兄と弟が徴兵されたが、彼は胸部の疾患があったため、免れた。帝国が敗れると、一家の領地はチェコスロバキアに属し、領地の多くが政府に没収された。ウィーン大学在学中に、舞台女優イダ・ローランと知り合い、駆け落ち同然に同棲を始めた。城を去る時、交際に反対だった母の、「ライ、ライ、ライ」という叫びが、城から響いたと伝わる。「人さらい」と聞こえたとされる。1915年に19歳で、34歳のイダと結婚した。
1923年、最初の妻イダの資金で、汎ヨーロッパ社を設立し、翌年から機関誌の編集者を務めた。同年の時点で、第一次世界大戦後の将来的な戦争や、ソ連とアメリカの分断を警告していた。1923年の著書『汎ヨーロッパ』が代表作で、1937年の『自由と人生』などの著作もある。1929年には、ベートーヴェンの『歓喜の歌』を、ヨーロッパを象徴する『欧州の歌』にすることを提案した。しかしナチスが政権を握ると、彼の汎ヨーロッパ連合は弾圧され、1939年春にフランスの市民権を取得した。以後、終生フランス国籍であった。1940年にアメリカに亡命して、ニューヨーク大学のセミナーなどをしながら運動を続け、1944年に同大学の教授に認定された。
1946年にヨーロッパに戻り、スイスのグシュタードに入って、旧知の各国の政治家らと交流し、汎ヨーロッパ主義への賛同を広げることに努めた。1962年にオーストリアから大銀星勲章を受け、1967年には、生まれて間もなく離れた日本にも帰郷して、勲一等瑞宝章を受けた。妻イダは1951年に亡くなり、1952年に伯爵夫人アレクサンドラと再婚し、彼女の死後の1969年に、メラニーと再婚した。1972年7月27日、スイス国境付近のオーストリアの村で死去した。表向きの死因は脳卒中だが、自殺だったとする秘書の証言もある。墓は、グシュタードの晩年を暮らした山荘を見下ろす場所にあり、碑文はフランス語で、ヨーロッパ合衆国の先駆者とだけ記されている。
同じ年に亡くなった人物
- レヴァレンド・ゲイリー・デイヴィス (1972年没)
- エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキー (1972年没)
- ミッチェル・ライゼン (1972年没)
- リリアン・ギルブレス (1972年没)
- Aleksey Nikanchikov (1972年没)
同じ地域に関係する人物
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- グリエルモ3世 (1198年没)
- オトマール・シュナイダー (2012年没)
- エルンスト・シュターレンベルク (1956年没)
- エリーザベト・シュヴァルツコップ (2006年没)