HISTORICAL PERSON · 1972年没

エドワード8世 (イギリス王)

英国王、インド皇帝。在位は1936年の325日間。離婚歴のある米国人女性ウォリス・シンプソンとの結婚のため退位し、「王冠を賭けた恋」で知られる。

生涯
1972年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 16区)
出生地
イギリス連邦(ホワイト・ロッジ)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

エドワード8世は、1894年6月23日に生まれた、ウィンザー朝の第2代のイギリス国王で、インド皇帝でもあった。在位は1936年1月20日から同年12月11日まで、わずか325日である。離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するために退位した「王冠を賭けた恋」で知られ、退位後はウィンザー公爵と称した。当時ヨーク公だったジョージ王子(のちのジョージ5世)とメアリー妃の長男として生まれ、弟にジョージ6世がいる。7月16日に洗礼を受けたが、洗礼名には、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズの守護聖人にちなむ名が含まれ、家族と友人からは終生、最後の洗礼名の「デイヴィッド」と呼ばれた。幼少期は、上流階級の常として乳母にしつけを受けたが、その一人から虐待を受け、両親が慌てて追い出したこともあった。

13歳頃まで家庭教師から厳格な教育を受け、1907年からオズボーン海軍兵学校に入ったが、過酷な訓練や寮生活に馴染めず、とくに数学が苦手だった。ダートマスの海軍兵学校に移ってからも、同級生からいじめられた。校長が、彼が必要以上に頻繁に殴られているのを訝しがって調べると、上級生たちは、将来艦長になった時に「自分はかつて、キングを蹴ったことがある」と自慢したかっただけだった。1910年に祖父エドワード7世が亡くなり、彼は王太子となって、海軍軍人としてのコースから外された。オックスフォード大学のモードリン・カレッジにも入学したが、正式な課程は修めなかった。1911年7月にカーナーヴォン城で叙位式を行い、ウェールズ語で答辞を述べて、これは以降の慣例となった。

第一次世界大戦が始まると、1914年6月に陸軍に入隊し、最前線への派遣を直訴したが、陸軍大臣キッチナーが、王位継承権第1位の者が捕虜となる危険を懸念し、拒まれた。それでも、最前線を可能な限り慰問し、1916年にミリタリー・クロスを授与されたが、自分は相応しくないと嘆いたという。戦後は、自国領や植民地、世界各国を訪問し、ロイド・ジョージ首相から「私たちの最も素晴らしい大使」と評された。失業問題や労働者の住宅問題に関心を寄せ、気さくに人々と言葉を交わし、国内外で人気者となった。一方、オーストラリアでアボリジニに対して人種差別的な発言をし、物議を醸したこともあった。派手な女性遍歴でも知られ、「プリンス・チャーミング」などと呼ばれた。

1931年頃から、アメリカ人の既婚女性ウォリス・シンプソンと交際し、結婚を真剣に考えるようになった。しかし、彼女は離婚歴を持ち、イングランド国教会では離婚が禁じられていたため、国民の大多数が交際に反発した。父ジョージ5世は軽蔑して、「自分が死ねば、1年以内にエドワードは破滅するだろう」と言い残した。1936年1月に父が崩御し、独身のまま即位した。即位後も、ウォリスとの結婚を望んで、ボールドウィン首相らと対立した。首相は11月に、個人秘書を通じて、新聞はもはや沈黙を守れないとする文書を手渡し、退位を迫った。12月10日に正式に退位の詔勅を下し、翌11日、ラジオで「愛する女性の助けと支えなしには、国王としての義務を果たせない」と語りかけた。1483年のエドワード5世以来、453年ぶりに、未戴冠のまま退位した国王となった。1972年5月28日に死去した。

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