HISTORICAL PERSON · 1971年没

フェルナンデル

フランスの喜劇俳優・シャンソン歌手。ひょうきんな馬面で人気を集め、パニョル監督の作品で有名に。『舞踏会の手帖』などのドラマにも出演した。

生涯
1971年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 16区)
出生地
フランス共和国(5th arrondissement of Marseille)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

フェルナンデルは、1903年5月8日にフランスのマルセイユで生まれた喜劇俳優、シャンソン歌手で、本名をフェルナン・ジョゼフ・デジレ・コンタンダンという。ひょうきんな馬面が特徴で、フランスが生んだ最大のコメディアンの一人とされる。会計係だった父ドニ・コンタンダンは、カフェやミュージック・ホールで歌うアマチュアの歌手でもあり、母デジレ・ベドゥアンも素人の女優で、二人は幼いフェルナンの才能にすぐ気づいた。彼は父のコンサートに付いて行って舞台に上がり、物真似を得意として、コメディアンになることを夢見た。素人の子供歌手のコンクールで、マルセイユの劇場の天才児賞を獲得したこともある。1915年、小学校を終えると、父の紹介で銀行に勤めたがまもなく解雇され、その後も港で砂糖の袋を運んだり、織物店や銀行で働いたりと、仕事を転々とした。その傍ら、結婚式や宴会の余興や、マルセイユのカフェ・コンセールの舞台で、おどけた兵隊の芸を披露した。彼の馬のような横顔は印象的で、人気も得たが、気まぐれな性格が安定した生活を許さなかった。のちにはマルセイユの石けん工場に勤め、兵役に就くまで続けた。

1925年、22歳で友人の作詞家ジャン・マンスの妹と結婚し、3人の子をもうけた。そのうちの一人フランコも俳優になった。芸名「フェルナンデル」の由来には諸説あり、妻が「私のフェルナンド」と呼んだことからとも、妻の母が、娘を訪ねてくる彼を窓から見て口にした言葉からともいわれる。結婚の1か月後に山岳砲兵連隊で兵役に就き、除隊の3週間前に、マルセイユの劇場の支配人から、観客に野次られたパリの人気歌手の代役を頼まれた。彼の兵隊の芸は大成功となり、パラマウントの劇場網の責任者から、すぐに契約を持ちかけられた。ニースのキャバレーで漫才や寸劇を演じ、シャンソンを歌って暮らしたのち、1928年にパリへ出て、ポリノ座でデビューした。コメディアンとしての人気も高まり、1930年に主役として映画デビューを果たすと、とくにマルセル・パニョル監督の諸作品で一躍有名になった。喜劇だけでなく、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『舞踏会の手帖』のようなシリアスなドラマにも出演している。

1939年に兵役に就き、除隊後は再び映画に出て、パニョル監督の作品で人気を取り戻した。1952年からは『ドン・カミロ』のシリーズに出演し、彼の当たり役となり、シリーズはその後6本まで作られた。1964年にはジャン・ギャバンとともに製作会社ギャフェルを設立し、『バター料理騒動』などを製作、監督、主演した。同年にはフランス・シネマ大賞なども受賞している。歌手としても多くの曲を録音した。大統領ド・ゴールが、官邸の催しで彼を称賛したというほど、その人気は国際的になっていた。1970年に『ドン・カミロ』シリーズの6作目の撮影中に倒れ、映画の完成を待たずして、1971年2月26日に癌のため亡くなった。生涯に149本の映画と10本のオペレッタ、数々のシャンソンを残した。その前年にはブールヴィルが急死しており、フランスは立て続けに2人の国民的コメディアンを失った。死後にレジオン・ドヌール勲章が授与された。

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