HISTORICAL PERSON · 1970年没

ジミ・ヘンドリックス

左利きのロック・ギタリスト。右利き用ギターを逆さに構え、歯で弾く、火を放つなどの派手な演奏で知られ、多くの音楽家に影響を与えた。

生涯
1970年没
死亡地
イギリス連邦(ケンジントン・アンド・チェルシー区 / ケンジントン)
出生地
アメリカ合衆国(シアトル)
出典
世界地図
イギリス連邦(ケンジントン・アンド・チェルシー区)

伝記

ジミ・ヘンドリックスことジェームズ・マーシャル・ヘンドリックスは、1942年11月27日、ワシントン州シアトルに生まれたアメリカ合衆国のロック・ギタリスト、シンガーソングライターである。出生時の名はジョニー・アレン・ヘンドリックスで、17歳で産んだ母ルシールに名づけられた。父アルは、アフリカ系の父とアメリカ先住民の母のあいだに生まれた人物で、生まれた当時は第二次世界大戦に召集されて出征中だった。母が家を空けがちだったため、幼い彼は母の姉夫婦のもとで育てられ、終戦後の1945年に帰国した父に引き取られて、ジェームズ・マーシャルと改名した。母は1958年に早世している。父方の祖母ノラは純血のチェロキー族で、居留地に住んでおり、預けられた幼いヘンドリックスはチェロキーの昔話を教えられるとともに、居留地で希望のない暮らしを送る人々の姿を目にしたという。
庭師の父の暮らしは貧しかった。多くのブルースやロックの音楽家と同じく、レコードを聴いて独学でギターを学んだ。十五歳のころ、ギターに興味を示したため、父はアパートの家主の息子からアコースティック・ギターを5ドルで買い与えた。その後シアトルの楽器店で、初めてエレクトリック・ギターを購入している。アマチュア・バンドで経験を積んだが、1961年5月2日に自動車窃盗の罪で逮捕され、投獄を避けるために陸軍に志願して、精鋭の第101空挺師団に配属された。同じ部隊のビリー・コックスとは、軍隊内で一緒に演奏した。除隊の理由は、降下訓練での負傷とする説と、規律を乱して問題視されたためとする記録があり、食い違う。

除隊後は無名のバックミュージシャンとして、アイク&ティナ・ターナーやアイズレー・ブラザーズなどの伴奏を務め、リトル・リチャードのツアーにも同行した。1960年代前半のアメリカでは、黒人のギタリストが主役として注目を浴びるのは極めて難しく、新しい音楽に寛容なイギリスに渡ることを決めた。1966年7月、アニマルズのベーシストだったチャス・チャンドラーに見いだされ、9月に渡英した。チャンドラーは初めて演奏を聴いたとき、ギタリストが三人で弾いているのかと思ったと語っている。ロンドンでオーディションを行い、ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルとともにジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成し、10月に活動を始めた。この頃に名をジミーからジミに変えた。デビュー曲は全英4位のヒットとなり、エリック・クラプトンは「誰もジミのようにギターを弾くことはできない」と語った。

1967年6月、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演した。ポール・マッカートニーが強く推薦したためといわれる。ここで演奏とギターを燃やすパフォーマンスを見せ、母国アメリカでも一気にスターとなった。左利きなのに右利き用のギターを逆さにして構え、歯で弾き、背中に回して弾き、ライヴの最後にはギターに火を放った。1968年にはアルバム『エレクトリック・レディランド』を出した。一方で、黒人でありながら白人向けのロックスターとして売り出されたため、公民権運動に取り組む黒人層からは裏切り者と見なされる面もあり、悩んでいたという。
過密なスケジュールと精神的な重圧から、人間関係は悪化した。プロデューサーのチャンドラーが去り、1969年6月にはレディングがバンドを脱退した。のち軍隊時代の友人コックスらとバンド・オブ・ジプシーズを組んだ。1970年9月18日、27歳で没した。没後半世紀を過ぎた今も、ローリング・ストーン誌の最も偉大なギタリストの首位に選ばれている。

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