HISTORICAL PERSON · 141年没

ビュブロスのフィロン

60年頃から141年の古典的著述家。文法、辞典、歴史に関する著作をギリシア語で書き、同義語辞典や皇帝ハドリアヌスの伝記などを著した。『フェニキアの歴史』はエウセビオスに引用されて断片が伝わる。

生涯
141年没
死亡地
—
出生地
レバノン共和国(山岳レバノン県 / ビブロス)
出典
世界地図
レバノン共和国(山岳レバノン県)

伝記

ビュブロスのフィロンは、フェニキアのビュブロスの出身で、文法・辞典・歴史にわたる多くの著作をギリシア語で書いた古典期の著述家である。生年は60年頃とも50年頃ともされ、没年は141年とも140年頃ともいわれる。ヘレニウス・フィロンの名でも知られ、この名からすると、補充執政官ヘレニウス・セウェールスの庇護民、あるいは養子であり、その仲介でローマ市民権を得た可能性があるとされる。

著作は多方面に及ぶ。語の異なる意味を扱った同義語辞典、科学者とその著作を分野別に編んだ著作集、各都市の著名な市民を出身都市ごとに記した目録、皇帝ハドリアヌスに関する著作、そして『フェニキアの歴史』である。同義語辞典は、のちに改変された簡約版がアレクサンドリアのアンモニオスの名で伝わっているが、その著者と成立時期は定かでない。都市ごとの人物目録は、ミレトスのヘシュキオスの『人名録』の主要な典拠の一つとなり、したがって『スーダ』の人物項目の源にもなった。ビュザンティオンのステパノスの『民族誌』の材料にもなっている。著作にはタイトルだけが知られるものもあり、いくつかはキリスト教徒の著作者による断片的な引用の形で今に伝わる。

とりわけ名高いのは『フェニキアの歴史』である。4世紀のカイサリアのエウセビオスが『福音の備え』の第1巻と第4巻の中で、古代フェニキア人の宗教を語る典拠として大きく引用しており、その断片が再編集・翻訳されている。フィロンは、この書が、トロイア戦争より前の時代に生きたというサンキュニアトンのフェニキアの歴史と宗教に関する書をフェニキア語からギリシア語に訳したものだと主張したとされる。ビュブロスの寺院の柱から書き写された古代フェニキア神話の秘本を見つけたと称したともいわれる。ポルフュリオスの引用では、サンキュニアトンはベリュトスの王に著作を献呈し、ヤハウェの司祭ヒエロンバルから得た情報でユダヤ人の歴史を記したとされるが、この話はおそらく架空のものであろうと考えられている。

この書は、神々がもとは人間であり死後に崇拝の対象となったとする見方や、古代の王の名が崇拝された自然物に与えられたとする見方を含んでいる。示された神々の系譜はヘシオドスの『神統記』にきわめて近く、ウガリトの楔形文字の粘土板に刻まれた神々の名も似た並びを示す。神名にはセム系の神々のヘレニズム化した名のほか、エジプトのトート神にあたるタウトスなど外来の神の名も見え、ギリシアの神々との対応が明示される箇所もある。エウセビオスはこうした合理主義的な記述を、古いフェニキアの宗教を貶める論拠として使った。引用はフィロン本来の意図に反する目的で行われ、フェニキアの宗教が誤ってゾロアスター教と混同される例もあり、どこまでがフィロンの文でどこからがエウセビオスの文か見分けにくい箇所もある。

長い間、フィロンは文学的な偽作を行い、『フェニキアの歴史』はすべて彼自身の創作で、サンキュニアトンは伝説上の人物だと考えられていた。しかし1929年以来、古代ウガリトの遺跡ラス・シャムラで多数の文書が発見され、フィロンの伝える情報の一部が裏づけられた。ヘシオドスとの類似は、近東に共通する土台を反映したものと考えられている。今日では、フィロンは古いフェニキアの典拠に依拠しつつ、そこに他の要素や自らの考えを混ぜ合わせたとみられている。

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