伝記
ジャック・ケルアックは、1922年3月12日にマサチューセッツ州ローウェルで、フランス系カナダ人の移民の家庭に生まれたアメリカの小説家・詩人で、ビート・ジェネレーションを代表する作家の一人である。父レオはケベックの田舎の村の出身で、母ガブリエルも同じケベックの出であり、一家のルーツはフランス西部のブルターニュにあるとされる。本人は、自分の姓にまつわるさまざまな由来を語っていたが、調査では、先祖はブルターニュの商人にさかのぼるとされている。フランス系カナダ人のコミュニティで幼少期を過ごし、6歳で小学校に入るまで英語を使うことがなかった。母は敬虔なカトリックで、子どもたちに深い信仰を教えようとした。ケルアックが4歳のとき、兄ジェラールがリウマチ熱により9歳で亡くなった。ジェラールは彼が最初に影響を受けた人物とされ、のちに小説『ジェラールの幻想』のもとになった。
ローウェル高校に進んでフットボールに熱中し、その推薦でコロンビア大学に進学したが、入学後まもなくの試合で負傷し、フットボールを諦めた。大学は中退した。第二次世界大戦中は商船員として世界中を航海し、戦後は親友の作家ウィリアム・バロウズや、ニール・キャサディ、アレン・ギンズバーグらとアメリカ中を放浪した。これらの経験から、彼の著作の大半が生まれたといえる。1950年に第1長編『ザ・タウン・アンド・ザ・シティ』を発表し、その後、次作が出るまでの7年間は、さまざまな職に就いた。
代表作『路上』は、1951年に3週間で書き上げたとされる。タイプ用紙の交換で集中が妨げられるのを嫌い、用紙を巻物のように繋ぎ合わせて使ったという逸話が有名である。パリ・レヴューのインタビューで、「即興」のスタイルを使おうと思ったきっかけを聞かれ、ニール・キャサディがくれた手紙だと答えている。1957年に刊行されると、ヒッピーなどの間で多くの愛読者を生み、アメリカのカウンターカルチャーの代表となった。彼は「ビート族の王」「ヒッピーの父」と呼ばれ、この作品はドアーズのジム・モリソンやボブ・ディランらにも影響を与えた。しかし本人はもともと大人しい性格で、作中の攻撃的な登場人物ディーン・モリアーティ(モデルはキャサディ)と重ね合わせられることに違和感を抱き、ビートの王者だがビートニクではないとも語ったという。思いがけない成功は彼の生活を乱し、アルコール依存症などで徐々に健康を害していった。ケルアックは、1958年の『地下街の人びと』『禅ヒッピーたち』などの成功にも後押しされて、1969年に他界するまでの10年間、自伝的要素をふんだんに盛り込んだ小説を発表し続けた。
やがてビートニクの友人たちとの親交は途絶え、ギンズバーグのような反戦活動もできず、表舞台から遠ざかった。保守的なカトリックの家庭で育った彼は、ヒッピーを好まず、反共産主義でベトナム戦争にも賛成の立場だったとされる。1969年、フロリダ州セントピーターズバーグで、生涯の飲酒による腹部の出血のため、47歳で亡くなった。ギンズバーグら生前の友人に見送られ、故郷ローウェルの墓地に埋葬された。『路上』では車を運転する場面が頻繁に出てくるが、ケルアックは1956年まで運転を習ったことがなく、生涯免許を取らなかったという。ローウェルには1988年に、彼を記念する公園が作られた。
同じ年に亡くなった人物
- ラファエル・オスナ (1969年没)
- チャールズ・ドボラク (1969年没)
- ミヒャエル・リッペルト (1969年没)
- コンラート・フォン・バイエルン (1969年没)
- エヴァレット・ダークセン (1969年没)
同じ地域に関係する人物
- Ryszard Kuklinski (2004年没)
- ウィリアム・スティーブンソン (1985年没)
- ランディ・サベージ (2011年没)
- ドナ・サマー (2012年没)
- ビリー・パウエル (2009年没)