伝記
テオドール・ルートヴィヒ・アドルノ=ヴィーゼングルントは、1903年9月11日、ヘッセン州のフランクフルト・アム・マインで生まれたドイツの哲学者・社会学者・音楽評論家・作曲家である。父オスカー・アレクサンダー・ヴィーセングルントはワイン商人で、母マリア・バルバラ・カルヴェリ=アドルノは歌手だった。一人っ子であり、父はもともとユダヤ系だったが、カトリックの母と結婚する前にプロテスタントに改宗している。学業成績は極めて優秀で、ギムナジウムを2年飛び級で卒業し、卒業試験にも首席で合格した。フランクフルト大学に入り、哲学、音楽、心理学、社会学を学んだ。
大学時代から音楽批評を多く発表していたが、目指していたのは作曲家だった。1924年に大学を卒業すると、本格的に作曲を学ぶためにアルバン・ベルクを頼ってウィーンへ移った。しかし、肩入れしていたシェーンベルクらの音楽が世間で不評なことに落胆し、音楽批評の活動に戻って、1926年にウィーンを去った。1928年から1931年にかけてはウィーンの前衛音楽誌の編集長を務めている。その後フランクフルトに戻り、次いでベルリンに滞在したが、ナチスの勢力伸長にともない、ユダヤ系の出自のため1934年にイギリスへ、さらに1938年にアメリカへ渡った。この頃から「テオドール・W・アドルノ」という表記を用いるようになった。
第二次世界大戦後の1949年、フランクフルト大学の社会研究所が再出発した際に帰国し、ホルクハイマーとともにこの研究所の所長に就任して、亡くなるまで籍を置いた。マックス・ホルクハイマーや、次世代のユルゲン・ハーバーマスらとともに、フランクフルト学派を代表する思想家である。ナチスに協力した一般人の心理的傾向を研究して権威主義的パーソナリティを解明し、権威主義的な態度を測るファシズム・スケールの開発者でもあり、20世紀の社会心理学研究の代表的な人物とされる。アウシュヴィッツのホロコーストに代表される「野蛮」と、詩に代表される「文化」との関連を批判的に問い直した言葉は、文化批判として広く知られる。夏のダルムシュタット夏季現代音楽講習会では、シュトックハウゼン、ブーレーズ、ノーノらのセリエル音楽の理論的指導者として、教育的功績を残した。
音楽の趣味は明確だった。シェーンベルクら新ウィーン楽派を賞賛した一方、ストラヴィンスキーやヒンデミットの新古典主義的な傾向、シベリウスやリヒャルト・シュトラウスなどの後期ロマン主義の作曲家には否定的で、ジャズやポピュラー音楽にも一貫して批判的だった。一方、アドルノがナチスの機関誌に発表した批評は、ナチスへの協力だとして問題視されている。1934年に全国青年指導部の広報誌に論評を寄せ、ヒトラーユーゲントの指導者シーラッハの詩に曲をつけた作品を誉めた。1963年にこれを公開質問で問われると、論評を書いたことは「慙愧にたえない」とし、「新しい音楽」を弁護するものだったと弁明した。ハンナ・アーレントはこの弁明を、カール・ヤスパース宛の書簡で「言いようもなくみっともない」と批判している。1969年8月6日、妻と休暇で訪れたスイスのフィスプで心筋梗塞を起こし、65歳で亡くなった。1977年、フランクフルト市によってテオドール・アドルノ賞が設立された。
同じ年に亡くなった人物
- ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ (1969年没)
- 呉晗 (1969年没)
- オットー・ディクス (1969年没)
- ベス・メレディス (1969年没)
- イバール・バラングルート (1969年没)
同じ地域に関係する人物
- S・コリーナ・ビル (1979年没)
- ミッシェル・クロ (1865年没)
- マウリティウス (287年没)
- マルセル・ルフェーブル (1991年没)
- マクシミリアン・ハルデン (1927年没)