伝記
サー・ラルフ・ノーマン・エンジェルは、1872年12月26日、イングランドのリンカンシャーにあるホルビーチで、6番目の子として生まれた講師・ジャーナリスト・著述家で、労働党の国会議員も務めた。父はトマス・エンジェル・レーン、母はメアリー(旧姓ブリテン)といい、生まれたときの名はラルフ・ノーマン・エンジェル・レーンだったが、のちにレーンを落とし、エンジェルを唯一の姓とした。イングランドのいくつかの学校のほか、フランスのサン=トメールの高等学校やジュネーヴ大学に通い、ジュネーヴでは英語の新聞の編集にも携わった。ジュネーヴで、ヨーロッパは解決できない問題に絶望的にからめとられていると感じたという。
17歳でアメリカ合衆国の西海岸に移住し、約7年間をカリフォルニア州で過ごした。ブドウ畑の作業員、灌漑用水路の掘削人、カウボーイ、入植者、郵便配達人、探鉱者と職を転々とし、のち本来の得意分野に近い新聞記者として、セントルイスやサンフランシスコの新聞社に勤めた。家庭の事情で1898年に一時イングランドへ戻り、その後パリに移って英字紙の副編集者となり、フランスの新聞にも寄稿した。この時期にはアメリカの新聞のフランス通信員も務め、ドレフュス事件の経過を伝える記事を送った。1905年から1912年まではパリでデイリー・メール紙の編集者を務めた。
1909年に小冊子『ヨーロッパの錯覚』を出し、翌年これを『大いなる幻影』の題で刊行した。その主張は、ヨーロッパ諸国の経済的な結びつきがあまりに強まり、それらの間の戦争は全く無益になって、軍国主義は時代遅れになったというものだった。第一次世界大戦の直前に、経済的相互依存と交通・通信技術の進展によって、大国間戦争は経済的に非効率で過去のものになったと唱えたが、大戦の勃発でこの主張は誤りだったとする評もある。しかしエンジェル自身は、ヨーロッパの大戦争が不可能だと言ったわけではなく、当時も後も誤解されていたとされる。そのため大戦が起こると、学界や世間からあざけりを受けた。フランスの反戦映画『大いなる幻影』(1937年)の題名は、この著書に由来する。
イングランドに戻り、1914年に民主的統制連合の創設に加わり、1920年に労働党に入党した。1922年と1923年の総選挙に立候補したのち、1929年から1931年まで、ブラッドフォード北部選挙区から選ばれた国会議員を務めた。1931年にナイトに叙せられ、1933年には、著述を通して世界平和に尽くした功績によりノーベル平和賞を受けた。1930年代半ばからは、ドイツ、イタリア、日本の侵略的な政策に対し、国際社会が集団で対抗するよう積極的に訴えた。1940年にはアメリカへ渡り、イギリスへの支援を求めて講演し、1951年に自伝を刊行するまで滞在した。1899年にベアトリス・キュヴェリエと結婚したが別居し、晩年の55年間は独り暮らしだった。満潮時には本土と切り離されるエセックスのノージー島を購入し、島の唯一の住居に住んだ。1967年10月7日、94歳でサリー州クロイドンで亡くなった。ノーベル賞のメダルは1983年にロンドンの競売にかけられ、現在は帝国戦争博物館に所蔵されている。
同じ年に亡くなった人物
- ホルコム・ウォード (1967年没)
- ウスマーン・アリー・ハーン (1967年没)
- シーロ・アレグリア (1967年没)
- エットーレ・バスティアニーニ (1967年没)
- ミッシャ・エルマン (1967年没)
同じ地域に関係する人物
- デリック・クック (1976年没)
- ギルバート・ウォーカー (1958年没)
- プリシラ・スーザン・ビューリー (1872年没)
- カール・ポパー (1994年没)
- ジョージ・アボット (1633年没)