伝記
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは、1883年9月17日、ニュージャージー州バーゲン郡のラザフォードに生まれたアメリカ合衆国の詩人であり、医師でもあった。父ウィリアム・ジョージはイギリス生まれながら、ごく幼い頃からドミニカ共和国で育ち、スペイン語のほうが話しやすい人物で、母はプエルトリコのマヤグエス出身でフランス系の血を引いていた。家庭の主な言語はスペイン語で、英語が主たる言葉になったのは十代になってからだとされる。研究者は、この家庭のカリブ海の文化が彼に大きな影響を与えたと指摘している。初期にはジョン・キーツとウォルト・ホイットマンの影響を強く受けた。
初等・中等教育はラザフォードで受けたが、1897年に二年間、ジュネーヴ近郊の学校とパリのリセ・コンドルセへ送られた。ニューヨークに戻るとホーレス・マン・スクールに通った。特別な試験に通って1902年にペンシルヴェニア大学の医学部に入り、1906年に卒業した。在学中に詩人エズラ・パウンドと交友を結んでいる。卒業後はニューヨークのフレンチ病院などでインターンを務め、さらにライプツィヒへ渡って小児科学の高度な研究に取り組んだ。その後ラザフォードに帰郷し、小児科を中心にした町医者として働きながら、口語の詩を発表した。パッセイク総合病院の小児科部長を1924年から亡くなるまで務め、昼は診察、夜は執筆という暮らしを続けた。
1909年に最初の本『詩集』を出し、続いて1913年に第一詩集『気質』が、パウンドの助力でロンドンの出版社から出た。当初はイマジズムの運動に関わったが、すぐに意見が合わなくなり、身の回りの環境を現代的に表現する道へ進んだ。患者たちの飾らない言葉にも影響を受けたという。1920年に出した実験的な詩集は、パウンドや詩人H・D、ウォレス・スティーヴンズら多くの仲間から厳しい批判を受けた。1923年には代表的な詩集『春とすべて』を出し、1946年から1958年にかけては、ニュージャージー州パターソンの町を題材に五巻から成る長編詩『パターソン』を書いた。本人は、この町を自分が掘り下げるべき「事例」としたと述べている。「赤い手押し車」など、日常の事物を描いた短い詩でも知られる。作品は絵画と親和性が高く、画家チャールズ・デムースは、彼の詩「偉大な数字」に着想を得て『金色の5を見た』を描いた。
1927年にダイアル賞を受け、1950年には『選詩集』と『パターソン』により全米図書賞を受けた。1953年にはボリンゲン賞を受賞している。アメリカの現代の口語を大胆に取り入れた詩は、第二次世界大戦後のビート派やブラック・マウンテン派の詩人たちに影響を与えた。詩人ランドル・ジャレルは、ウィリアムズが、人間同士の違いはその共通点よりも重要でないと、口先でなく心で感じている人だと書いた。マーク・ホフスタッターは、読者と対等に語り合う話し方で自分の民主主義を表現しようとした詩人だと述べている。1963年3月4日、故郷のラザフォードで死去した。没後、『ブリューゲルの絵、その他の詩』でピューリッツァー賞の詩部門を受賞した。日本でも『パターソン』をはじめ、詩集や自叙伝、短篇集が翻訳されている。
同じ年に亡くなった人物
- ペドロ・アルメンダリス (1963年没)
- メアリー・アグネス・チェース (1963年没)
- カール=エリク・グラーン (1963年没)
- リヒャルト・ベーア (1963年没)
- アメリータ・ガリ=クルチ (1963年没)
同じ地域に関係する人物
- リッチー・ヘブンス (2013年没)
- テッド・カーソン (2012年没)
- ハル・ハイグ・プリースト (2001年没)
- テッド・メレディス (1957年没)
- レヴァレンド・ゲイリー・デイヴィス (1972年没)