伝記
リー・ド・フォレストは、1873年8月26日、アイオワ州カウンシルブラフスに生まれた。三極管の発明者として名高いアメリカの発明家・電気技術者で、取得した特許は百八十以上にのぼる。父は会衆派教会の牧師で、息子にも聖職者の道を望んだ。父がアラバマ州タラディーガのアフリカ系アメリカ人の学校の学長となったため、少年期をそこで過ごした。黒人を教育しようとする父に白人の住民の多くは憤慨しており、遊び相手は黒人の子供たちしかいなかった。同年代の子供とは打ち解けられず、図書室にこもって特許庁の報告書を読んでいたというから、幼い頃から発明に関心があったことがうかがえる。
1893年、イェール大学のシェフィールド科学学部の機械工学科に入った。朝四時に起きて芝刈りの仕事をする苦学生だったが成績はきわめて優秀だった。好奇心から大学の電気系統をいじって全体を停電させ、停学になったが、のちに許されて卒業している。機械やゲームを発明して学費の一部に充て、1896年に学士号を取り、そのまま大学院に残って電波についての論文で1899年に博士号を取得した。アーマー工科学院の研究員として、無線や燃焼ガスと放電の関係、電波検出器などを研究した。
1906年、二極管を電波の検出器として使う特許を出願した。ジョン・フレミングが1904年に発明したフレミング管に工夫を加えたものである。さらに、二極管のフィラメントとプレートのあいだに第三の電極であるグリッドを挿入した真空管、オーディオン管を発明した。信号の増幅ができるこの三極管は、1907年に特許を出願し、1908年2月に米国特許として発効した。無線の分野ではトランジスタが発明される1948年まで、大陸横断の電話網やラジオ、レーダーなどの開発に非常に重要な要素となり、電子工学の分野が大きく広がった。ただし、本人は動作原理を完全には理解しておらず、封入したガスのイオン化で増幅すると考えていた。実際にはほとんど真空だったから機能したことが後に分かり、アーヴィング・ラングミュアが原理を初めて正しく説明して大幅に改良した。
1907年には蒸気船から陸へ向けた放送を行い、ヨットレースの結果を速報した。「無線」という語を好まず、代わりに「ラジオ」という語を考案したという。1910年1月、オペラ『トスカ』の上演の一部を放送し、翌日にはメトロポリタン歌劇場でのカルーソーの歌を放送した。1913年には出資者に詐欺で訴えられて無罪となったが、弁護費用でほとんど破産状態になり、三極管の特許をAT&Tに安く売却した。1916年には再生回路をめぐってエドウィン・アームストロングと争い、訴訟は12年続いて、最高裁ではド・フォレストが勝った。後世の歴史家の多くはこの判決を誤りとしている。同じ年、ニューヨークの実験局から世界初のラジオ広告を流し、大統領選挙の速報もラジオで初めて放送した。
1919年にはサウンド・オン・フィルム方式のトーキーの特許を出願し、フォノフィルムと名付けた。1923年4月15日にニューヨークで短編映画を上映したが、ハリウッドのスタジオにはほとんど相手にされず、1926年9月にフォノフィルムの会社は倒産した。それでも同種の方式がのちに業界標準となり、1960年にアカデミー賞を授与された。4度結婚し、25の会社を起こしたが、晩年にはほとんど蓄えがなく、1957年の自伝『ラジオの父』を書いた1年後に心臓発作を起こして、1961年、87歳で亡くなった。銀行の残高は1250ドルだった。
同じ年に亡くなった人物
- ゲイリー・クーパー (1961年没)
- アロイス・ファン・デ・フィフェレ (1961年没)
- エミール・アンリオ (1961年没)
- フランク・ボーゼイギ (1961年没)
- ヴォルフガング・フォン・トリップス (1961年没)
同じ地域に関係する人物
- フランツ・オッペンハイマー (1943年没)
- ブレンダ・マーシャル (1992年没)
- イワオ・タカモト (2007年没)
- ウィリー・スティール (1989年没)
- メリッサ・マシスン (2015年没)