伝記
レイモンド・チャンドラーは、1888年7月23日にアメリカのイリノイ州シカゴで生まれた小説家・脚本家で、ハードボイルド探偵小説の代表的な作家である。幼少期は、両親や母方の叔母夫婦らとともにネブラスカ州で過ごした。父はアルコール中毒の土木技師で、鉄道建設に従事していたが、1895年に家族を捨てて去った。1900年、母は息子に最高の教育を受けさせようとロンドンに移り、母方の祖母のもとに身を寄せた。アイルランドで弁護士として成功していた叔父の支援を受けて、パブリックスクールのダリッジ・カレッジで教育を受け、17歳で学校を離れた。大学には進まず、パリやミュンヘンで半年ずつ過ごして語学力を磨いた。
1907年、叔父に公務員試験を受けさせられ、イギリスに帰化して、600人中3番で合格し、海軍本部で働いた。しかし公務員は性に合わず、半年ほどで辞めて家族を驚かせ、叔父を激怒させた。作家志望だった彼は、評論誌や夕刊紙の記者となり、詩や書評を書いたが、のちにこの頃は幸福ではなかったと述べている。1912年、23歳の頃に叔父から500ポンドを借りて安定した職を求めアメリカへ渡り、サンフランシスコで簿記を学び、翌年にはロサンゼルスの乳業会社に就職した。1914年にカナダ軍に入隊し、第一次世界大戦でフランスに出征して小隊長になり、1918年にはイギリス空軍に配属された。戦後はカリフォルニアに戻って働き、一緒に入隊した人物の継母で18歳年上のシシイと恋愛関係になった。母は結婚に反対したが、1923年9月に母が亡くなると、翌1924年2月にシシイと結婚した。
1922年から石油会社で簿記係兼監査役として働き、1931年には副社長にまで登りつめたが、飲酒や欠勤、女性従業員との不倫などが原因で、翌年に解雇された。大恐慌で苦しい中、文筆で生計を立てようと決め、パルプ・マガジンの小説の書き方を独学で学んだ。1933年、44歳の時に、パルプ・マガジン『ブラック・マスク』に中篇『脅迫者は撃たない』が掲載されてデビューした。この執筆には5か月を要した。1939年の処女長編『大いなる眠り』で初登場した私立探偵フィリップ・マーロウは、ハードボイルド派の中で最も有名な探偵とされる。長編は『さらば愛しき女よ』(1940年)、『長いお別れ』(1953年)など7作で、中でもこの3作は傑作とされることが多い。ビリー・ワイルダーと共同で脚本を書いた『深夜の告白』(1944年)は、アカデミー賞の脚本賞候補になった。ヒッチコックの『見知らぬ乗客』にも脚本で参加したが、原作を「ばかばかしいストーリー」と酷評し、監督と衝突している。
1946年にカリフォルニア州ラ・ホヤへ引っ越した。1954年に妻シシイが長い闘病の末に亡くなると、深く沈み込んで酒におぼれ、1955年2月には自殺未遂を起こしている。それでも周囲の支えで、1958年に『プレイバック』で復帰した。1959年に『プードル・スプリングス物語』に取りかかったが、冒頭の第4章まで書いたところで、3月26日にラ・ホヤで亡くなった。死の直前にはアメリカ探偵作家クラブの会長に選ばれていた。この未完の作品は、1989年にロバート・B・パーカーが完成させた。
同じ年に亡くなった人物
- バンジャマン・ペレ (1959年没)
- アーヴィング・カミングス (1959年没)
- エドマンド・グールディング (1959年没)
- カロ・アラビヤン (1959年没)
- エルネスト・ブロッホ (1959年没)
同じ地域に関係する人物
- アドルフ・ドイチュ (1980年没)
- リーランド・スタンフォード (1893年没)
- クラレンス・ケリー・ジョンソン (1990年没)
- ディーン・ジャガー (1991年没)
- エルスワース・バインズ (1994年没)