伝記
アン・モーティマーは、ケンブリッジ伯爵夫人で、薔薇戦争の戦端を開いた第3代ヨーク公リチャード・プランタジネットの母にあたる。イングランド王エドワード4世とリチャード3世の祖母でもあり、のちのヨーク家が王位を求める根拠となる血筋は、彼女を通じて伝わった。1388年12月27日に生まれたとも、1390年の同じ日に生まれたともいわれる。第4代マーチ伯ロジャー・モーティマーと、第2代ケント伯トマス・ホランドの娘エレノアの長女で、アイルランドにあるモーティマー家の所領の一つ、ウェストミーズで生まれたとされる。弟に第5代マーチ伯エドマンドとロジャー、妹にエレノアがいた。
アンは、母を通じてヘンリー3世とエドワード1世の子孫であったが、より重要だったのは、父方の祖母フィリッパ・オブ・クラレンスを通じて、エドワード3世の子孫であることだった。フィリッパは、エドワード3世の次男ライオネル・オブ・アントワープの娘である。子のなかったリチャード2世の治世に、父のロジャーは推定相続人とみなされていたが、1398年7月20日にアイルランドで戦死すると、この権利は長男である弟エドマンドに移った。1399年、リチャード2世がヘンリー・ボリングブルック、のちのヘンリー4世に廃位され、エドマンドは新しい王にとって王位を脅かしかねない存在となった。エドマンドとロジャーの二人は、ウィンザー城などに拘留されたが、礼をもって遇され、王の子らとともに育てられた。アンと妹エレノアは、母に養われていた。母が1405年に亡くなったあとは、弟たちのようには優遇されず、「貧困者」と記されるありさまで、本人と使用人のために年100ポンドを要したという。
アンは、1406年5月に、あるいは1408年の初めごろに、初代ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーと、その最初の妃イザベラ・オブ・カスティルの次男、リチャード・オブ・コニスバラと結婚した。この結婚は保護者の同意を得ずに行われ、おそらく急いで進められたもので、1408年5月23日にローマ教皇の特免によって認められた。二人には、2男1女が生まれた。長女のイザベルは1409年に生まれ、1412年に3歳でトマス・グレイと婚約し、のちにヘンリー・バウチャーと再婚した。次男のリチャードは1411年9月22日に生まれ、のちの第3代ヨーク公となり、エドワード4世とリチャード3世の父となった。ヘンリーという子もいた。
アンは、1411年9月22日に、息子リチャードを産んだ直後に亡くなった。ハートフォードシャーのキングズ・ラングリーにある修道院教会に葬られた。そこは、おそらく夫の両親、エドマンド・オブ・ラングリーとイザベラ・オブ・カスティルの墓所があった場所である。夫のケンブリッジ伯リチャードは、アンの死後にモード・クリフォードと再婚したが、子はなかった。1415年、リチャードはヘンリー5世に代えてアンの弟マーチ伯エドマンドを王位に就けようと企てたが、マーチ伯自身がヘンリー5世に知らせたため、首謀者として処刑された。同年10月には、リチャードの兄のヨーク公エドワードが、子がないままアジャンクールの戦いで戦死し、息子のリチャードが公爵位を継いだ。
同じ年に亡くなった人物
- ロベール1世 (バル公) (1411年没)
- スレイマン・チェレビー (1411年没)
- メルキオール・ブルーデルラム (1411年(推定))
- ヨープスト・フォン・メーレン (1411年没)
- レオポルト4世 (オーストリア公) (1411年没)
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