HISTORICAL PERSON · 1958年没

タイロン・パワー

オハイオ州出身のアメリカの俳優。父も同名の俳優で、子役として舞台に立ち、後にハリウッド入りして映画界で活躍した。

生涯
1958年没
死亡地
スペイン王国(マドリード州 / マドリード)
出生地
アメリカ合衆国(シンシナティ)
出典
世界地図
スペイン王国(マドリード州)

伝記

タイロン・パワーは、1914年5月5日にアメリカ合衆国オハイオ州シンシナティで生まれた俳優である。父は、イギリス生まれで同名の俳優タイロン・パワー二世、母はヘレン・エマ(愛称パティア)だった。曽祖父もアイルランド生まれの同名の俳優でコメディアンという、代々の舞台俳優の家系である。曽祖母の縁で、俳優ローレンス・オリヴィエとも親戚関係にあった。幼いころは病弱で、医者に勧められた一家は1915年にカリフォルニアへ移った。しかし父は主にニューヨークで活動して不在がちで、1920年ごろに両親は離婚した。母は舞台女優として働き、7歳になった1921年には、母とともに舞台に立っている。数年後にシンシナティへ戻り、カトリック系の学校で学んで、1931年に高校を卒業した。

1931年の夏、映画界入りする父に同行してハリウッドへ向かった。ところが父は同年12月に心臓発作で急死し、息子の腕のなかで息を引き取ったという。それでも彼は俳優の道を続ける決意を固め、ハリウッドにしばらく残って数本の映画に脇役で出た。しかし仕事は得られず、友人の助言で舞台の経験を積もうとニューヨークへ向かった。途中のシカゴでは友人のドン・アメチーにラジオの仕事を勧められたが、向かないと悟って去った。ニューヨークで名女優キャサリン・コーネルに出会い、その推薦で舞台の代役を務め、『ロミオとジュリエット』ではベンヴォーリオ役を得た。ハリウッドから映画の試験を打診されたときも、コーネルは経験を積むようにと助言し、次の舞台でも重要な役を与えた。1936年にはハリウッドに行き、20世紀フォックスと契約した。最初は才能を認められなかったが、女優アリス・フェイの後押しで小さな役を得た。やがて監督ヘンリー・キングの目に留まり、『ロイズ・オブ・ロンドン』の役を得た。製作者ダリル・ザナックにはためらいがあったが、この役はパワーに与えられ、人気は次第に高まっていった。

『勝鬨』への出演で若手スターとして売り出した。『スエズ』や『世紀の楽団』などのヒットで、興行収入に貢献するスターの上位10人に名を連ね、1939年には映画雑誌の人気投票で「ハリウッド・キング」に選ばれた。こうして、フォックスの看板スターの地位を確立した。だが本人は型にはまった二枚目役を嫌い、新境地を開くために舞台に戻ろうとしたこともあったという。『スエズ』で共演したフランスの人気女優アナベラと結婚したが、のちに離婚している。第二次世界大戦中は、アメリカ軍に志願した。

1950年代に入ると、二枚目スターの座はグレゴリー・ペックらに取って代わられた。映画への出演を絞って舞台にも時間を割き、『ミスタア・ロバーツ』などで評価を得た。それでも『長い灰色の線』や『陽はまた昇る』では、中年の渋みも加わった一面を見せ、『愛情物語』では、実在のピアニストのエディ・デューチンを演じた。ビリー・ワイルダー監督の『情婦』で演技派としても再評価された矢先、『ソロモンとシバの女王』のマドリードでのロケ中に心臓麻痺を起こし、1958年11月15日に44歳で急死した。彼の役はユル・ブリンナーに交代し、撮り直された。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物