HISTORICAL PERSON · 1958年没

クルト・アルダー

ドイツの化学者。師ディールスとともにディールス・アルダー反応を発見し、1950年にノーベル化学賞を受賞した。

生涯
1958年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(ノルトライン=ヴェストファーレン州 / ケルン)
出生地
ポーランド共和国(ホジュフ)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(ノルトライン=ヴェストファーレン州)

伝記

クルト・アルダーは、1902年7月10日にドイツ帝国のシュレージエン地方にあるケーニヒスヒュッテ(現在のポーランド領ホジュフ)で生まれ、1958年6月20日にケルンで没したドイツの化学者である。1950年、師のオットー・ディールスとともにノーベル化学賞を受賞した。

教師の子として、工業地帯であるケーニヒスヒュッテに生まれ、そこで初等教育を受けた。第一次世界大戦でドイツが敗れた後、この地は1922年にポーランド領となり、アルダーは生地を離れて移住した。1922年からベルリン大学で化学を学び、のちにキール大学へ移った。1926年、同大学でオットー・ディールスの指導のもと博士号を取得した。1930年に同大学の助手となり、のち講師に昇進した。1936年にキールを去ってレーヴァークーゼンのIG・ファルベンに移り、合成ゴムの研究に携わった。1940年にはケルン大学の実験化学・化学技術の教授に任命され、同大学の化学研究所の所長にもなった。

戦時下のヨーロッパで独創的な研究を進めるのは多くの障害を伴ったが、その間も、有機化合物の合成に関する自分の関心にもとづいて、体系的な研究を続けた。この分野で150を超える論文を発表した。最も大きな成果は、師とともに明らかにしたディールス・アルダー反応で、ジエンと不飽和化合物から環状の化合物をつくるこの反応の発見と発展が、ノーベル賞の対象となった。この反応はモルヒネや一部のアルカロイド、ステロイドの合成にも用いられてきた。1945年には、エチレンジアミン四酢酸の発明者フェルディナント・ミュンツと緊密に協力し、1949年にジエン合成と付加についての論文を共同で発表した。

1938年にはドイツ化学者協会のエミール・フィッシャー記念メダルを受け、同年、レオポルディーナ・アカデミーの会員となった。1950年にはケルン大学から名誉医学博士号を、1954年にはサラマンカ大学から名誉博士号を贈られた。月のクレーターにはアルダーの名が付けられ、ディールス・アルダー反応でつくられる殺虫剤アルドリンも、彼の名にちなむ。

1958年6月、55歳で亡くなった。死因は不明とされ、ケルンの自室で、2週間ほどたってから遺体が見つかったという。亡くなる直前、ノーベル賞受賞者会議の常任委員会に宛てた手紙に、新たな任務が次々と課せられるドイツの大学教授への絶え間ない要求が、自分の場合は長年にわたって体力を消耗させ、疲労の末に医師から完全な休養を強く勧められたと書いていた。

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