伝記
ヤクプ・コーラスは、ベラルーシの作家、詩人、劇作家、翻訳家である。本名はカンスタンツィン・ミハイラヴィチ・ミツキェヴィチといい、森林番の家に生まれた。出生地はストウプツィともいわれ、ミンスク県のアキンチツィの村ともいわれる。ペンネームの「コーラス」はベラルーシ語で「穀類の穂」を意味し、平凡なベラルーシ人の小作農に同情的な作品で知られた。
ネスヴィジの教員養成学校で学び、1902年に卒業すると、教師としてピンスク郡やポレシエ地方の村に赴任し、1906年まで教えた。この間に、ベラルーシ語の雑誌『ナーシャ・ドーリャ』に詩「懐かしい祖国」を発表して文学の道に入った。これが文学上のデビューとなったとされる。1906年には、ロシア社会民主労働党の党員が組織した、ベラルーシ人教員による非合法の第1回大会に参加したため、教職を解かれて投獄された。ミンスクのヴォロダル監獄で服役したのは1908年から1911年にかけてとされ、獄を出たのち『ナーシャ・ドーリャ』紙の記者となり、そこで初めて「ヤクプ・コーラス」の名を使ったという。1912年から1914年には再びピンスクで教師を務め、その時に長男ダニラが生まれた。ダニラはのちに、父の名を冠した博物館の初代館長になった。
1915年にモスクワ近郊に住んでいたとき動員され、翌年にモスクワのアレクサンドル軍学校で1年間の教育を受けて准尉の階級を得たのち、ペルミの予備部隊に送られた。1917年の夏にルーマニア戦線へ送られたが、健康上の理由で復員したとされる。1918年にはオボヤンの教師となった。1921年にミンスクに移り、新設のベラルーシ文化研究所で文学と研究に専念した。この研究所は1928年に科学アカデミーに改組され、彼は会員となり、1929年に副会長になった。1926年には、白ロシア共和国の人民詩人の称号を受けている。
主な作品に、詩集『囚われの歌』(1908年)と『悲しみの歌』(1910年)、長編詩『新しい土地』(1923年)と『楽士シモン』(1925年)があり、ほかに物語や戯曲も書いた。1947年の詩『漁師の小屋』は、ベラルーシがソビエト連邦に統合されたあとの闘争を描いたものである。1954年の三部作『十字路にて』は、革命以前のベラルーシの小作農層と民主的な知識人層の生活を描いた。第二次世界大戦中はロシアなどに疎開し、タシケントやモスクワに滞在して、ミンスクに戻ったのは1944年であった。1946年から1956年までソ連最高会議の代議員を務め、ベラルーシ共和国の平和委員会の議長にもなった。以後はミンスクで暮らし、同地で生涯を閉じた。1946年には『サラル』『大地の声』『西へ』『わが友へ』『故郷の道』『五月に』『勝利の道』といった詩で、1949年には詩『漁師の小屋』でスターリン賞を受けた。レーニン勲章は1939年、1948年、1951年、1952年に、労働赤旗勲章は1946年に授与され、赤旗勲章も1943年に受けている。1956年8月13日にミンスクで没し、ミンスクの軍人墓地に埋葬された。ミンスクの中心部には、彼の名を冠した広場と通りがある。
同じ年に亡くなった人物
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- ライオネル・クラブ (1956年没)
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