伝記
アーニョロ・ガッディは、1350年ごろに生まれ、1396年に没したイタリアの画家である。活動した時期は1369年から1396年とされる。タッデオ・ガッディの息子で、アニョロ・ガッディとも表記される。ジョルジョ・ヴァザーリは『画家・彫刻家・建築家列伝』に、彼の伝記も載せている。
フィレンツェで、画家タッデオ・ガッディの息子に生まれた。徒弟修業は、ジョヴァンニ・ダ・ミラノやヤコポ・ディ・カセンティーノの工房に入って始めたという。1381年に、30歳以上でなければ就けない公職に就いた記録があることから、生年は1350年ごろと推定された。1387年には聖ルカ組合に登録された。ヴァザーリによれば、若いころに教会で『ラザロの復活』をたいへん見事に描いたが、気まぐれな性格のために、その才能を続けて示すことはできなかったという。
父タッデオは、ルネサンス絵画の先駆者ジョットの弟子であった。アーニョロは、ジョットから強い影響を受けた最後の画家で、ジョットの継承者と見なされていた。彼の絵の人物は、ジョットのものより動きがあり、色使いもジョットとは異なっていたとされる。
仕事の中心となったのは、フィレンツェのフランシスコ会のサンタ・クローチェ聖堂である。1380年にヤコポ・デリ・アルベルティの依頼で、ヤコポ・デ・ヴォラギネの『黄金伝説』に直接もとづく『聖十字架伝説』を、聖歌隊席のフレスコ画として手がけた。1383年にミケーレ・ディ・ヴァンニ・カステッラーニの求めで建てられたカステッラーニ礼拝堂では、工房とともに、壁と天井を、福音書記者ヨハネ、修道院長アントニウス、洗礼者ヨハネ、バーリの聖ニコラウスの4聖人の生涯を描く壁画で飾った。ゲラルド・スタルニーナも加わっている。1380年から1390年ごろには、おそらくシトー会修道院の依頼による、聖者たちと天使たちと玉座の聖母の三連祭壇画や、おそらくピサ近郊の教会の祭壇画の中央の板であった聖母戴冠も描いた。1385年から1390年には『六人の天使と謙譲の聖母』を描いた。1392年には、ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニとともにプラートにおり、ダティーニ宮殿のフレスコ画と、大聖堂の聖帯伝説の礼拝堂の壁画を手がけた。同じ1392年から翌年にかけては、フィリーネ・ディ・プラートの聖ペトロ教会の近くに、約18平方メートルの大きな聖アンナの壁龕画も描いた。1393年から1396年には、ウフィッツィ美術館の『キリスト磔刑』を描いた。
弟子には、絵画の実践的な手引書『美術の書』を著したチェンニーノ・チェンニーニ、ゲラルド・スタルニーナ、ロレンツォ・モナコがいる。ヴァザーリによれば、アーニョロは次第に絵筆から離れ、ヴェネツィアで商いをして大きな富を築いた。死者の記録簿に1396年の死が記され、父や兄弟ジョヴァンニと同じくサンタ・クローチェ聖堂に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- ペルミのステファン (1396年)
- フアン1世 (アラゴン王) (1396年没)
- ヘレナ・カンタクゼネ (1396年)
- Marsilius of Inghen (1396年)
- ヨハン (ゲルリッツ公) (1396年没)
同じ地域に関係する人物
- フェルディナンド3世 (トスカーナ大公) (1824年没)
- レオポルド・ノビーリ (1835年没)
- Silvano Piovanelli (2016年没)
- Scipione Ammirato (1601年没)
- アーニョロ・ブロンズィーノ (1572年没)