伝記
デール・ブレッケンリッジ・カーネギーは、1888年11月24日、アメリカのミズーリ州メアリヴィルの農場で、ジェームズ・ウィリアムとアマンダ・エリザベスの次男として生まれた。のちにベディソン近郊の農場で育ち、教室がひとつだけの田舎の学校に通い、若い頃は農作業をしながら、ウォーレンズバーグの州立教員養成大学で学んで教師の資格を得た。同じメアリヴィル出身の作家ホーマー・クロイとは長く友人であった。大学時代には弁論大会で活躍し、恩師の影響でウェズリー派の思想にも触れたという。卒業後はまず牧場主向けの通信講座を売り歩き、続いてアーマー社のベーコンや石鹸、ラードの販売員となって、担当した南オマハ地区を全国一の成績に押し上げた。
200ドルを貯めた1911年に営業の仕事を辞め、巡回講演の講師になる夢を追ってニューヨークの演劇学校に通ったが、俳優としては成功せず、巡業劇で脇役を演じた程度であった。公演が終わるとニューヨークに戻り、125丁目のキリスト教青年会の宿舎に泊まるうち、話し方を教えることを思いつく。支配人を説得し、純益の8割を受け取る条件で講座を持たせてもらった。1912年の初回は、用意した材料がすぐ尽きてしまったため、受講者に「腹の立つこと」について話すよう求めたところ、話し手が聴衆の前で自信を持てるようになることに気づいたという。講座は夜間の授業として好評を博して受講者が増え、1914年には週に500ドルを稼ぐまでになった。授業を重ねるうち、受講生に必要なのは話術だけでなく「対人関係の技術」だと分かったが、適当な教材がなかったため自分で作った。はじめは一枚のカード、次にリーフレット、さらに小冊子と増えていった。哲学書から心理学書、偉人の伝記まで大量に読み、各界の名士や実業家にインタビューをし、図書館で文献を調べるスタッフまで雇って、逸話を蓄えたとされる。1920年代初めまでは姓を旧来の綴りで書いていたが、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが広く尊敬されていた時期に、これを改めたのは巧みな販売戦略だったともいわれる。実際には鉄鋼王とは別人で、親戚関係もない。
1932年に『知られざるリンカーン』を著し、1936年、48歳のとき、自前の教材と講義の速記録に手を加えて出版したのが『人を動かす』である。話し方講座を始めて25年、教材づくりを始めて15年を経てまとまった本で、発売直後に大ベストセラーとなり、没後も読み継がれている。世界で1500万部以上を売り上げたとされ、のちには彼の名を冠した話し方と人間関係の研修コースも各地で開かれるようになった。1948年には悩みへの対処を扱った『道は開ける』を出した。柱となっているのは、他者に対する自分の行動を変えることで、他者の行動も変えられるという考えである。
私生活では、最初の結婚が1931年に離婚で終わり、1944年11月5日にオクラホマ州タルサでドロシー・プライス・ヴァンダプールと再婚した。最初の結婚でローズマリー、二度目の結婚でドナ・デールの二人の娘をもうけた。1955年11月1日にホジキン病で没し、ミズーリ州キャス郡のベルトン墓地に葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- エマニュエル・ドゥ・マルトンヌ (1955年没)
- カルースト・グルベンキアン (1955年没)
- ジョン・モット (1955年没)
- アロイス・フォン・リヒテンシュタイン (1869-1955) (1955年没)
- ジョン・W・デイビス (1955年没)
同じ地域に関係する人物
- ラルフ・スタインマン (2011年没)
- マース・カニングハム (2009年没)
- ミリアム・ホプキンス (1972年没)
- Mary Gawthorpe (1973年没)
- レックス・ハリソン (1990年没)