伝記
ディラン・トマスは、1914年10月27日にウェールズの海沿いの町スウォンジーで生まれた詩人・作家である。父デイヴィッドは英語の学位を持つ教師で、地元の文法学校で英文学を教え、息子を母語のウェールズ語ではなく英語で教育した。ただし、両親はウェールズ語と英語の両方を話し、父は夜間にウェールズ語の講座も教えていたとされる。ディランという名は父が選んだもので、ウェールズの神話集に登場する人物にちなむ。ミドルネームのマーレイスは、吟遊詩人名を持つユニテリアン派の牧師ウィリアム・トマスをたたえて付けられた。母の実家はカマーゼンシャーの農家で、少年は夏になるとそこで過ごした。この田舎の暮らしと町の暮らしの対比は、のちの短編やラジオ・エッセイ、代表作の詩「ファーン・ヒル」に表れている。
父が教える同じ学校に通い、初めての作品は学校誌に発表された。1年半ほどで学校を去り、16歳で新聞のリポーターとなった。1931年から1935年にかけて約200編の詩を書き、そのうちいくつかは10代のうちに活字になった。最も有名な作品のひとつ「そして死に支配はない」は、クムドンキン通り5番地の生家で書かれた。彼は23歳までこの家で暮らし、詩の約半分と多くの短編もここで執筆した。1934年11月に最初の詩集『18の詩』が出版されると、最も刺激的な若い英語詩人の一人となった。雑誌の編集人ヴィクター・ニューバーグの目にとまってロンドンに招かれ、文芸評論家たちに紹介された。故郷では、作曲家ダニエル・ジョーンズや詩人ヴァーノン・ワトキンスら、のちに「カードマー・ボーイズ」として知られる仲間の輪に加わり、コーヒー・ショップでよく会合を開いた。
1937年にケイトリン・マクナマラと結婚し、息子リーウェリン、娘アーロニィ、息子コルムの3人をもうけた。詩人として評価を高めたが、書くことで生計を立てるのは難しく、朗読旅行やラジオ放送で収入を補った。1940年代後半のラジオ放送は広い聴衆に彼の名を知らしめた。彼の詩は、同時代の作家が政治的・社会的な深刻な問題を取り上げるなか、感情と情熱に従った激しく個人的な作風で知られる。短編は詩を拡大したもので、半自伝的な『若き犬としての芸術家の肖像』が最も有名である。ラジオ劇『アンダー・ミルク・ウッド』や、死にゆく父への嘆願と解釈される詩「おとなしくあの良き夜に入ってはいけない」でも知られる。ボブ・ディランの名は彼から採られたとされる。
1950年代にアメリカを訪れた朗読は人気を集めたが、酒の飲み方と奇行も悪化した。1953年の4度目のニューヨーク滞在中、11月4日にホワイト・ホース・タバーンで過度の飲酒の後に倒れ、5日後の11月9日にセント・ヴィンセント病院で39歳で死去した。死因は肺炎と、脳への圧力や脂肪肝などが要因だったと記録される。死の直前には「僕は18杯のストレート・ウィスキーを飲んだんだ」と語ったという。遺体はウェールズに帰され、ラーンの教会の墓地に埋葬された。故郷スウォンジーには「ディラン・トマス劇場」や、文学記念館としてフェスティバルが開かれる「ディラン・トマス・センター」があり、今も彼をしのぶ場となっている。
同じ年に亡くなった人物
- ハーバート・ユージーン・アイヴス (1953年没)
- Albert Meyer (1953年没)
- Karl Staaf (1953年没)
- ジェームス・J・ジェフリーズ (1953年没)
- ノーマン・ロス (1953年没)
同じ地域に関係する人物
- ルイーズ・ブルックス (1985年没)
- ドク・ポーマス (1991年没)
- アルフェウス・フィレモン・コール (1988年没)
- ルドルフ・ロッカー (1958年没)
- ロバート・ファーディナンド・ワーグナー (1953年没)