伝記
スヴェイン・ビョルンソンは、1881年2月27日にデンマークのコペンハーゲンで生まれたアイスランドの政治家で、同国の初代大統領である。父は編集者でのちに大臣となったビョルン・ヨウンソン、母はエリサベト・スヴェインスドッティルといった。1900年にレイキャヴィークのラテン語学校を卒業し、1907年にコペンハーゲン大学で法学の学位を得て、同じ年に上級裁判所で弁護する資格を得た。1920年には最高裁判所でも弁護する資格を得ている。1907年から1920年まで、また1924年から1926年までレイキャヴィークの検察官を務め、1919年のうち数か月は国の上級裁判所の検察官も務めた。フリーメイソンの会員でもあり、レイキャヴィークのエッダ支部の創設者の一人となり、アイスランドのフリーメイソン団体の総長も務めたという。
政治の面では、1912年から1920年までレイキャヴィーク市議会の議員を務め、1918年から1920年はその議長となった。国会であるアルシングには、レイキャヴィーク選出で1914年から1915年と、1919年から1920年に議員として加わっている。1918年にアイスランドがデンマークから独立すると、1920年から1924年と1926年から1940年にかけて駐デンマーク公使を務めた。アイスランドは主権国家となっていたものの、外交はデンマークが担っており、1940年4月のドイツによるデンマーク占領で、デンマークに住む国王クリスチャン10世がアイスランドに関する憲法上の職務を果たせなくなった。このため1941年から1943年に三度にわたって摂政に選ばれ、国王の権限をすべて引き受けた。1941年7月にはアメリカ軍が政府の招きでアイスランドに進駐し、大戦後も縮小した規模で駐留を続けたため、戦後の外交をめぐる最大の論争の種となった。
1944年にアイスランド共和国が成立すると、アルシングによって初代大統領に選ばれた。最初の任期は国民が初めて大統領を直接選ぶ1945年までの1年間だけで、1945年と1949年には対立候補なしで再選された。就任後まもなく在外公館に外交儀礼に関する書物を集めるよう求め、国家元首として正しい作法に従おうとした。外国の外交官からは、儀礼に厳格すぎるとも評されたという。1949年の総選挙後には、政党が4か月で合意できなければ自ら組閣すると述べ、大統領の公式な権限の外に踏み出したが、歴史家のグズニ・ヨハンネソンは、そのような権限は憲法にないとしている。共和国成立後は国王クリスチャン10世との関係が悪く、デンマークを公式訪問することはなかった。1949年3月30日に北大西洋条約機構へ正式に加盟した際には国内で論争や暴動が起き、1951年5月5日にはアメリカとの防衛協定が結ばれた。
実業にも関わり、1914年にはアイスランド最大の海運会社エイムスキップの創設者の一人となって、会長も務めた。1916年に火災保険会社を設立し、1918年には海上保険会社の創設にも加わった。1924年12月10日に創設されたアイスランド赤十字社では初代の会長となっている。1908年にゲオルギア・ハンセンと結婚して六人の子をもうけたが、長男ビョルンは第二次世界大戦中にドイツの武装親衛隊に入った。1949年ごろから健康を損ね、第3期の任期が切れる1年以上前の1952年1月25日にレイキャヴィークで死去した。2024年の時点で、在職中に亡くなった唯一のアイスランド大統領である。
同じ年に亡くなった人物
- マリア・モンテッソーリ (1952年没)
- ヨハン・ニューゴースヴォル (1952年没)
- ヴァスィリー・エロシェンコ (1952年没)
- モリス・デワール (1952年没)
- ヴィクター・ホープ (第2代リンリスゴー侯爵) (1952年没)
同じ地域に関係する人物
- ヘルマン・ヨーナソン (1976年没)
- ハロルド・プリンス (2019年没)
- トール・ヴィルヘルムソン (2011年没)
- グドベルグー・ベルグッソン (2023年没)
- Albert Gudmundsson (1994年没)