HISTORICAL PERSON · 1366年没

マリア・ディ・カラブリア

ナポリ女王ジョヴァンナ1世の妹。度重なる誘拐婚に翻弄され、3度の結婚を経て37歳で死去した。

生涯
1366年没
死亡地
ナポリ
出生地
ナポリ
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

マリア・ディ・カラブリアは、ナポリ王国の王女であり、ナポリ女王ジョヴァンナ1世の妹である。生まれは1329年5月6日とも1328年末ともいわれ、没年は1366年5月20日とされる。父はカラブリア公カルロ(ナポリ王ロベルト1世の長男)、母はマリー・ド・ヴァロワ(フランス王フィリップ6世の異母妹)である。マリアは父カルロの死から約6か月後に生まれた。3人の姉と1人の兄のうち、このとき生きていたのは姉のジョヴァンナだけだった。1331年10月23日、母マリーがバーリへの巡礼の途中で亡くなり、幼いマリアと、ナポリ王位の継承者となった姉ジョヴァンナが残された。2人は祖父ロベルト1世の宮廷で育てられた。

1332年6月30日の教皇勅書により、マリアと姉は、ハンガリー王カーロイ1世の息子たちと結婚するように定められた。ジョヴァンナはアンドラーシュと、マリアはアンドラーシュの兄でハンガリーの王位継承者ラヨシュと婚約した。ただし、ジョヴァンナが結婚前に死去した場合には、マリアがアンドラーシュと結婚するという条件がつけられた。ロベルト1世は、ナポリ王位から外された兄の子孫と和解することを望んでいたのである。1343年1月20日にロベルト1世が死去し、遺言によってジョヴァンナがナポリ王位を継いだ。マリアはアルバ女伯領と膨大な遺産を与えられ、ラヨシュとの婚約も確認された。

しかし祖父の死後まもなく、マリアは、ドゥラッツォ公ジョヴァンニの未亡人アニェス・ド・ペリゴールに誘拐され、アニェスの息子カルロと結婚させられた。結婚式は1343年4月21日に行われ、マリアは14歳、カルロは20歳であった。2人の間には5人の子が生まれ、そのうち4人は娘だった。マリアとカルロは、姉ジョヴァンナとその2番目の夫ターラント公ルイージに対立する派閥を率いた。ハンガリー王ラヨシュ1世のナポリ侵略に直面して女王ジョヴァンナとルイージが逃亡したとき、カルロは権力を手にする機会を得たが、数日後にはアヴェルサ近くでハンガリー人に捕らえられた。1348年1月23日、カルロは斬首された。マリアは19歳で未亡人となった。

夫の死後、マリアはナポリからアヴィニョンに逃れ、教皇クレメンス6世に助けを求めた。1348年に黒死病がイタリア半島を襲うと、ハンガリー王とその軍の大半は伝染病から逃れるためハンガリーへ帰った。マリアはナポリに戻り、卵城に落ち着いた。1350年夏、ラヨシュ1世はマリアの使節と会い、2人の結婚が決まったといわれる。しかし式が行われる前に、マリアはアヴェッリーノ伯ウゴーネ4世・デル・バルツォに再び誘拐され、その長男ロベルトと結婚させられた。2人に子は生まれなかった。1353年、マリアはラヨシュ1世に救出されたが、夫ロベルトは捕らえられて卵城に監禁され、殺された。マリアはその殺害を直接見ていたと伝えられる。

その後マリアはルイージにより再び監禁され、1355年4月、ルイージの弟フィリッポ2世と結婚した後に釈放された。2人の間には3人の息子が生まれたが、いずれも早世し、1362年と1366年には男子を死産している。マリアは1366年、37歳で、おそらく出産時の合併症により死去し、ナポリのサンタ・キアラ教会に葬られた。祖父ロベルト1世は、ジョヴァンナ1世が子なく死去した場合、マリアの子孫に王位を継がせるとしていた。マリアの死後、その権利は3人の娘に引き継がれ、1382年、末娘マルゲリータの夫カルロがカルロ・ディ・ドゥラッツォとしてナポリ王となった。

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