伝記
ルキウス・アエリウス・ラミアは、アウグストゥスとティベリウスの二人の皇帝のもとで数々の官職を務めたローマの元老院議員である。紀元前43年より前に生まれ、紀元後33年に没した。紀元後3年には、マルクス・セルウィリウスを同僚として執政官に就いている。父は同名のルキウス・アエリウス・ラミアで、キケロに忠実な支持者だった人物である。父は紀元前43年に法務官に任じられたが、任期を終える前に死んだ。父か本人かが詩人ホラティウスの友人だったともいわれる。有力なアエリウス・トゥベロ家との関係は分かっておらず、クラウディウス帝の二番目の妻アエリア・パエティナとのつながりも不明である。
執政官になる前の経歴で確かなのは、紀元前9年にプブリウス・シリウスとともに造幣三人委員を務めたことである。これは二十人委員会を構成する四つの委員会のうち、最も格が高いものとされる。そのほか十五人神官団の一員にもなり、紀元前1年には法務官を務めたとされる。執政官の後はゲルマニアの総督となり、その時期は紀元後4年から6年とも6年から8年ともされる。続いてパンノニアの総督を務め、これは10年から11年とされる。
ティベリウスの治世の初め、くじ引きでアフリカの属州総督に当たり、14年から17年のあいだ、15年から16年ごろとされる時期に任に就いた。レプティス・マグナ近郊の交差点で見つかった碑文には、「ティベリウス・カエサル・アウグストゥスの命令」により、この町から領域の端まで44マイルの道路を建設したことが記されている。22年にはティベリウスからシリア総督に任命されたが、ローマにとどめ置かれ、自らシリアに赴くことはなかった。この名目上の任命は10年ほど続いたともいわれる。
ラミアはティベリウスの親しい友人で、おそらくその求めに応じて、ローマのエスクイリヌスの丘にあった自分の地所を譲ったと伝わる。これがのちのラミア庭園である。最晩年の33年にはローマ市長官の職にあった。32年に市長官だったが翌年に死んだとする説明もある。
家族については、同名の息子ルキウス・アエリウス・ラミアと、法務官マルクス・プラウティウス・シルワヌスの最初の妻となった娘アエリアがいたとされる。補欠執政官を45年と74年に務めたティベリウス・プラウティウス・シルウァヌス・アエリアヌスは、彼の息子とも、孫ともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- ディスマス (33年)
- Lucius Pomponius Flaccus (33年)
- Marcus Aemilius Lepidus (33年没)
同じ地域に関係する人物
- ラファエル・ボンベリ (1572年没)
- クレメンス8世 (ローマ教皇) (1605年没)
- アナスタシウス (対立教皇) (878年没)
- ボニファティウス5世 (ローマ教皇) (625年没)
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス (紀元前166年の執政官) (紀元前148年没)