伝記
シグリ・ウンセットは、1882年5月20日にデンマークのカルンドボーで生まれたノルウェーの小説家である。3人姉妹の長女で、母アンネ=シャルロッテ・ギュートはデンマーク人、父インゴヴァルド・マルティン・ウンセットは考古学者だった。一家は彼女が2歳のときにノルウェーへ移り、首都クリスチャニア(現在のオスロ)で育った。父は研究のために各地を旅していたが、のちに大学の古代博物館の助手となって家にいる時間が増え、娘たちの教育に心を配った。幼い彼女に発掘の調査を具体的に見せ、博物館の収集品に親しませたのも父で、史料を批判的に読む姿勢や中世史への情熱は、この父から受け継いだものだとされる。
8歳で教育者ラグナ・ニールセンの学校に入ったが、病気で床についていた父は彼女が11歳の1893年に亡くなった。喪失の衝撃で彼女は内にこもりがちになった。友人のエマと人形劇を演じ、「四つ葉のクローバー」という手作りの定期刊行物を書いたこともある。やがて母が経済的に行き詰まったこともあって、長い学業を続けることができなくなった。職業学校に入ったものの1年で去り、1899年からドイツの電機会社AEGの事務員として働いた。1909年までの約10年間、昼は厳しい事務の規律のなかでタイピストとして腕を上げ、夜は読み書きに時間を費やした。オスロの労働者階級や小市民の暮らしを間近に見た経験は、のちの作品の舞台となった。
最初に書いたデンマーク中世を舞台とする長編はデンマークの出版社に突き放すように断られた。次に書いた結婚生活を描く『マルテ・ウーリエ夫人』を1907年に出版社へ持ち込んだが、アシェホウグ社は一度これを退けた。彼女はくじけず、評価の高い作家グンナル・ハイベルグに仲介を頼み、ようやく原稿は受け入れられて、ノルウェーの読者と批評家から好評を得た。翌1908年には、働きながら王子様を夢見る独身女性たちを描いた短編集を出し、ハンス・イェーゲルをめぐる論争では自由恋愛を非難する立場をとった。成功は1909年にかけて大きくなった。ノルウェー政府から旅行奨学金を得ると、10年勤めた事務員の仕事をやめ、デンマーク、ドイツ、そしてイタリアを訪れ、ローマには9か月滞在した。この時期にはアイスランドのサガを翻訳し、『ヴィガ・リョートとヴィグディス』として小説の形に書き改めている。
作品には現代の都市を描く小説と中世を舞台とする小説があり、両者はしばしば並行して構想された。代表作『クリスティーン・ラヴランスダッテル』は中世ノルウェーが舞台で、1920年から1922年に『花の冠』『主婦』『十字架』の三部作として出版された。1924年にはカトリックに改宗し、1925年と1927年には『オーラヴ・アウドゥンスソン』の2部作を出した。中世の北欧の暮らしを描いた作品により、1928年にノーベル文学賞を受けた。
1940年、ナチス・ドイツの占領を逃れてアメリカ合衆国に渡り、大戦が終わった1945年に帰国した。1949年6月10日にリレハンメルで亡くなった。生涯に36の小説のほか多数の随筆と記事を著し、現在のノルウェーの500クローネ紙幣には、若いころの肖像が描かれている。
同じ年に亡くなった人物
- アイノ・アールト (1949年没)
- 石原莞爾 (1949年没)
- ゴットフリート・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン (1949年没)
- アントン・サアデ (1949年没)
- Halil Mutran (1949年没)
同じ地域に関係する人物
- Reidar Liaklev (2006年没)
- Olav Hagen (2013年没)
- Baltazar Mathias Keilhau (1858年没)
- ホルゲール・ブレンデン (2007年没)
- Arne Rustadstuen (1978年没)