伝記
アントナン・アルトーは、1896年9月4日にマルセイユで生まれたフランスの俳優・詩人・演劇家である。両親は従兄妹の関係にあり、それぞれの祖母は姉妹で、小アジアのスミルナの出身だった。母は九人の子を産んだが、四人は死産、二人は幼くして亡くなったという。五歳のころ髄膜炎と診断され、その後遺症の痛みに耐えるため、生涯にわたって阿片などの麻薬を服用し続けたとされる。ただし伝記作家のデイヴィッド・シェーファーは、症状や当時の誤診の多さから、実際に髄膜炎だったかは疑わしいと論じている。マルセイユのカトリック系の学校に通った十四歳のころには仲間と小さな文芸誌をつくり、ランボーやマラルメ、ボードレール、ポーに影響を受けた詩を発表した。学業の終わりごろには社会から身を引き、自作の大半を破棄して本を人に譲ってしまったため、心配した両親は精神科医に診せ、その後の五年ほどは療養所を転々とした。1916年に徴兵されたが、健康上の理由で早く除隊となり、1919年には療養所の院長が処方したラウダナムがきっかけで、阿片への依存が始まったとされる。
1921年にパリへ出ると、精神科医エドゥアール・トゥールーズの庇護を受け、シャルル・デュランの劇団アトリエ座に加わった。一日に十時間から十二時間もの訓練を受け、バリ島や日本の演劇への関心をデュランと分かち合ったが、次第に意見が合わなくなり、1923年に劇団を離れてピトエフ夫妻の一座に移り、やがて映画へ軸足を移した。同じ1923年、詩を『新フランス評論』誌に送って掲載は断られたものの、編集者ジャック・リヴィエールが関心を示して文通が始まり、最初の主要な出版物となる『ジャック・リヴィエールとの往復書簡』が生まれた。映画ではアベル・ガンス監督の『ナポレオン』でマラーを、カール・ドライヤー監督の『裁かるゝジャンヌ』で修道士マシューを演じた。ジェルメーヌ・デュラック監督の『貝殻と僧侶』は彼の脚本によるが、実際には撮影現場にも加われず、脚本も監督に書き直されたという。シュルレアリスム運動にも加わったが、アンドレ・ブルトンと衝突し、第三インターナショナルとの接近に猛反発して除名された。その後は残酷劇を提唱し、アルフレッド・ジャリ劇場を創設して、現代演劇に大きな影響を与えた。
1936年、聖パトリックの杖をアイルランドの地に還そうとして現地へ向かったが、道中で警察に拘束され、統合失調症と診断されてフランスへ強制送還された。ジャック・ラカンらの診察を受け、サンタンヌ病院やロデーズの病院など各地を転々とし、五十一回もの電気ショック療法を受けて、収容は九年に及んだ。編集者のジャン・ポーランは生前にアルトー全集を企画して出版を成功させ、経済的な支援のほか阿片の治療代まで負担したという。1946年5月、ロベール・デスノスをはじめとする友人らの助力で退院したが、直後は母の顔さえ分からないほど錯乱していた。のちに入院中の体験を告発し、『ヴァン・ゴッホ 社会による自殺者』でサント=ブーヴ賞を受けた。ラカンは再び書けることはないだろうと診断したが、ブルトンは極めて明晰な文章だと称賛した。1948年3月4日、パリ郊外イブリーの療養所で、ベッドに腰掛けたまま息を引き取っているのが見つかった。五十一歳だった。その「器官なき身体」の語は、1972年にドゥルーズとガタリの『アンチ・オイディプス』の中心概念に採られ、演劇論はピーター・ブルックらに受け継がれた。
同じ年に亡くなった人物
- 東條英機 (1948年没)
- ソロモン・ミホエルス (1948年没)
- イグナーツ・フリードマン (1948年没)
- ヴィトルト・ピレツキ (1948年没)
- 松井石根 (1948年没)
同じ地域に関係する人物
- ポール・メイエル (1917年没)
- アンドレ・クレージュ (2016年没)
- テオドール・バリュー (1885年没)
- ジャン・マビヨン (1707年没)
- エマニュエル・シャブリエ (1894年没)