伝記
セオドア・ハーマン・アルバート・ドライサーは、1871年8月27日、インディアナ州テレホートに生まれたアメリカ合衆国の作家で、自然主義文学の流れに属する。父はプロイセンのライン州マイエン出身のドイツ系移民のカトリック教徒、母サラはオハイオ州デイトン近郊のメノー派の農村の出で、結婚のためにカトリックに改宗して家族から勘当された。13人兄弟の12番目の子で、父の事業の失敗のため一家はひどく貧しく、父は厳しい人物でもあったという。この幼少期の経験は、のちの小説に反映されている。14歳年上の兄ポールは作曲家・俳優として活躍し、人気の歌曲作家となった。ドライサーは短編「わが兄ポール」で兄の人生を書いている。
16歳で家を飛び出し、様々な職業を経た。ワルソーの高校を卒業した後、1889年から1890年にかけてインディアナ大学に通ったが、学位は取らなかった。1892年から、新聞記者・劇評家として、シカゴ、セントルイス、トレド、ピッツバーグ、ニューヨークの新聞社を転々とした。最初の小説作品はシカゴの新聞に載った。1895年には雑誌に記事を書くようになり、ホーソーンやハウエルズらを論じ、カーネギーやエジソンら著名人にも取材している。1895年に兄ポールの関係者を説得して月刊誌の編集長の地位を得、1907年6月には女性誌の編集長となって、経済的に自立できるようになった。この間、ホーソーンやポー、バルザック、ハーバート・スペンサー、ハクスリー、フロイトなどを耽読し、社会を科学的に把握する方法論を学んだ。
1899年に最初の妻サラとオハイオ州モーミーの友人宅に滞在し、最初の長篇の執筆を始めた。1900年に刊行された『シスター・キャリー』は、中西部の田舎からシカゴに出てきた貧しい娘が、妻子ある男と駆け落ちしてニューヨークで女優として成功する一方、男は転落していく物語である。主人公のアンモラルな人物造型が物議を醸し、初版はほとんど売れなかったが、のちに「あらゆるアメリカ都市小説のなかで最も偉大」とも評された。1901年には、1893年に目撃したリンチをもとにした短編が雑誌に掲載された。1911年には第二作『ジェニー・ゲルハート』を発表した。都会へ出た若い女性を主人公に、都市化がもたらす社会の変化を描いた。
最初の商業的成功は、1925年の『アメリカの悲劇』である。貧しい青年が、出世のために恋人を殺してまで上流階級に登ろうとして、環境にもてあそばれて死刑になるまでを描く。ドライサーは1892年に記者になった頃から、若者が経済的・社会的に成功したい野心から恋人を捨てようとして起こす「金のための殺人」が多いことに気づき、1895年から1935年まで毎年その種の話を集めたと語っている。1906年のチェスター・ジレットによる殺人事件の細部と舞台を下敷きとした。この作品はよく売れたが、道徳心のない男の殺人を描いたことで批判も受けた。1931年にスタンバーグ監督、1951年にはスティーヴンス監督により『陽のあたる場所』として映画化され、アメリカ自然主義文学の傑作とされる。1998年には「英語で書かれた20世紀のベスト小説100」で16位に選ばれた。
短編や詩も書き、1931年には怪奇現象研究家フォートの著作に熱中してフォーティアン協会の創立に加わった。長く正当な評価を受けることが少なかったが、生誕100周年を迎えた1970年代以降に再評価が進み、現在ではマーク・トウェインらと並ぶアメリカ文学の父として、不動の地位を築いている。1945年12月28日に没した。
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