伝記
レザー・シャー・パフラヴィーは、1878年3月、カスピ海南岸マーザンダラーン州のアラシュトの町に生まれた、パフラヴィー朝イランの初代皇帝(在位1925年12月15日から1941年9月16日)である。即位前はレザー・ハーンと称された。レザーの名は第8代イマームのアリー・リダーに由来する。父アッバース・アリー・ハーンは少佐で、マーザンダラーン出身だった。母ヌーシュ・アフアリーンは、ロシア・ペルシア戦争でカフカスの領土を失った際にイランへ移住した家の出で、グルジアかエレバンの出身とされる。父は、生後8か月のときに急死した。母は兄の家のあるテヘランへ移り、翌年に再婚して、レザーは叔父のもとに残された。1882年に叔父は、ペルシア・コサック旅団の将校の友人の家へ預け、少年はそこで自分の部屋を与えられて、家庭教師から子どもたちとともに学ぶ機会を得た。
若くしてペルシア・コサック旅団に入り、騎兵隊の馬丁から将校となり、階級を上げて1921年までに准将となった。1921年には、2500の兵を率いてクーデターを起こしてテヘランを奪い、政府を解散させて、新しい首相を立てた。1919年に結ばれていた協定を破棄して、治外法権の撤廃に成功した。新政府ではまず軍の総司令官と陸軍大臣になり、その後1924年から1925年の間に首相となった。1925年10月31日、議会は5対85でガージャール朝の廃止を決議し、翌月、議会はレザーの国王就任を認めた。翌年に自ら帝位に就いて、パフラヴィー朝を創設した。
皇帝となったレザーは、国内統治に尽力した。1926年に司法改革に着手し、1927年に国民銀行を創設し、1929年に義務兵役制度を制定した。アメリカから財政顧問官を招いて財政改革に当たり、差別的な風潮をなくすため女性解放の制度を定め、教育改革も行うなど、国家の近代化に努めた。対外的には国際連盟に加盟し、1935年には国号をペルシアからイランに改め、中央集権化を確立した。1938年にはイラン縦貫鉄道を完成させた。英国とロシアの影響を減らすため、はじめはアメリカやドイツとの提携を探り、のちにチェコスロバキアやデンマークの企業の力を借りて、インフラや軍、産業の発展を図った。しかし皇帝による独裁色が強かったため、国民の反発を招き、1936年に女性のヘジャーブ着用を禁止するなど、イスラームの倫理観に対抗する政策がさらに多くの反発を生んだ。
第二次世界大戦が始まると中立を宣言したが、態度は枢軸国寄りであり、親ナチス・ドイツ的な政策もとったため、1941年に英国とソ連の連合軍が侵攻してくると、子のモハンマド・レザーに帝位を譲って退位することを余儀なくされた。モーリシャス島に事実上亡命し、のち南アフリカのヨハネスブルグに移り、1944年7月26日に67歳で死去した。遺体はエジプトでミイラ加工を施され、カイロに安置されたのち、1950年にイランに運ばれて、シャフレ・レイの霊廟に埋葬された。1979年のイラン革命後に霊廟は破壊され、遺体は行方不明になった。2018年4月、レイの陵墓の拡張工事で見つかったミイラがレザーのものではないかと報じられたが、遺体は埋め戻されたという。
同じ年に亡くなった人物
- チャールズ・ハーディング (初代ハーディング・オブ・ペンズハースト男爵) (1944年没)
- ヤーコプ・フォン・ユクスキュル (1944年没)
- アル・スミス (ニューヨーク州知事) (1944年没)
- ウルリヒ・ヴィルヘルム・シュヴェーリン・フォン・シュヴァーネンフェルト (1944年没)
- ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ (1944年没)
同じ地域に関係する人物
- Mary Malahele-Xakana (1981年没)
- レイモンド・ダート (1988年没)
- ピーター・レブソン (1974年没)
- ベイヤーズ・ノーディエ (2004年没)
- ベンジャミン・ジョーンズ (1963年没)